「雨のち晴れ」
悠理は誰もいない生徒会室で至福の時を味わっていた。
寒くもなく暑くもなく。
レースのカーテン越しから零れる日差しを背に受け、テーブルに突っ伏すように夢の世界と現実をウロウロと漂っていた。

授業中のこの時間は限りなく静かだった。
昨日模試を終えた悠理は、気が抜けたのか学校には出てきたものの朝からなんのやる気もなく、授業に出ても「眠い」としか頭に浮かばないので、放課後の為に"仕方なく"自主休講して三時間目からこうして鋭気を養っているのだ。
授業が終われば、試験勉強の御褒美として清四郎と出かける事になっていた。
今日は珍しく、清四郎の運転で海に行く事になっていた。
もちろん泳ぐわけではないが、清四郎曰くストレスが堪ってる時は海を見るのが一番いいとのこと。
散々バカにし、手厳しかったストレスの原因の一端である彼に言われてもいまいちピンとこなかったが、確かに海の広さにはいつも心を奪われる。
それに、試験勉強でなければ、清四郎と出かけるのは嫌いではなかった。
定期試験だけでなく、小テストや昨日のような模試など、単発にも聖プレジデント学園では試験をよく行う。
抜き打ちではない限り、悠理はその度に清四郎のスパルタに容赦なく"付きあわされて"いた。
無論清四郎からすれば、「こっちが面倒みてやってるんだ」という事になるのだろうが。
なんにせよ試験勉強というものは悠理にとってストレス以外何ものでもない。
清四郎もそれがわかっているので、いつも御褒美で釣るのだ。
それは最初のうちは食べ物だったりもしたのだが、いつしかふたりで出かけることが多くなっていた。
遊園地、動物園、水族館、テーマパーク、スポーツ観戦、映画、買いもの・・・。
試験勉強中の険悪な雰囲気がまるで嘘のように、何処に行っても、ふたりは楽しかった。
そしてその時に聞く清四郎の話はいつもとても面白かった。
政治や経済のことから医学や、最近研究していること。
時にはそのほかの趣味のことも。
普段ならもったいぶった講釈付きで難しく感じるだけの話も、こんな時は悠理も興味深く聞き入り、時には「もっと」とせがむ事もあった。
話ている相手にそこまで熱心に聞かれては話す方も熱が入るのは当然のこと。
結果的にふたりはこれまで知りえなかった互いの事を、そこからいくつも見出していた。
悠理はいつだったかふと思ったことがあった。
清四郎といるのは気持ちいいと。
例えれば、今のような日溜りの中でぼんやりとできる心地良さ。
この心地良さは、清四郎といる時だけであると。

「ここにいましたのね」
「んぁ〜。あぁ、野梨子か」
先ほどそう言えば、チャイムが鳴った気がする。
悠理はぼんやりとそう思い出し、体を起こした。
入り口に立ったままの野梨子に笑みはない。
だが呆れているだけだろうと思うと、悠理はまた突っ伏した。
「なんだよ、なんかあたいの事探してたのか?」
コツコツと、近付いてくる足音が聞こえ、肘に頬を擦り付けるように寝心地の良い処を模索しながら、悠理は野梨子の言葉を待った。
思っていたより早く足音が止まり、少しの静寂が流れると野梨子の声が遠くに聞こえた。
「お願いが、ありますの」
「ん〜・・?」
やっとしっくり来るポジションを見つけ、悠理は既に眠りに落ちて行きそうだった。
「・・・・・・もう、清四郎と出かけないでいただきたいんですの」
短い休憩時間の終わりを告げるチャイムが二人の間に響く。
悠理は、そして野梨子も動かなかった。
「――――今日、お前となんか先に約束してたのか?」
「いいえ」
その声は震えていた。悠理にはそれだけで充分だった。
「そうか。わかった。あいつには行けなくなったってメールでも送っとくわ。直接言いに行ったら理由聞かれるし。あたい、そんなの上手くかわせそうにないしな」
ゆっくり体を起こすと、この時初めて野梨子の顔を見た。
想像どおり、スカートを握り締め、頬を紅潮させ強張らせている。
「そうかなって思う事もあったから。もしそうなんだったら、いくら"なんでもない"って言ったってやっぱりあたいと出かけるのとかって嫌だと思ってるのかなってさ、ちょっとだけ考えた事あったんだ。ごめんな、今まで」
悠理の言葉に、野梨子の顔が更に紅くなった。
きっとここに来るまでにどう自分の気持ちを伝えようか悩んだのだろう。
それをあっさりと見抜かれていた上に、悠理の方から気を使われ謝罪までされたのだ。
野梨子に残されている言葉は少なかった。
「ごめんなさい・・・」
必死に堪えていただろうに、遂にその大きな瞳から涙が溢れはじめていた。
「泣くなよ〜。あたいが泣かしてるみたいじゃん。ほら、早く顔洗って教室戻れよ。あたいはまだもうちょっとサボってから帰るからさ」
ヒラヒラと手を振って見せると、野梨子は大きく悠理に頭を下げた後、生徒会室を出て行った。
その後姿を見送りつつ、悠理は呟いていた。
「やっぱりそうだよなぁ・・・」と。

野梨子へ言った通り、また惰眠を貪ろうと突っ伏してはみたが、先程見つけた心地良い場所はもうわからなくなってしまっていた。
それでも無理やり見つけた。

瞼の向こうにあった光が次第に弱くなっていく。
背中にあった温もりも、いつしかなくなっていた。

窓の外では、雲が太陽を隠しはじめていた。
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