「ワレモコウ」
いつもと変わらない放課後。いつもと変わらない生徒会室に、魅録はいた。
いつものようにタバコをふかす。
美童は可憐と共に雑誌を見ては喧々諤々、野梨子は今日はどのお茶とお菓子にしようかと、顎に細い指先を当て棚の前でお腹が空いたと駄々をこねる悠理を軽くあしらいながら思案顔。
そして清四郎はまるで他の音が耳に届いていないかのように、目の前で静かに新聞を広げている。

いつもどおりの風景。―――元に戻った、風景。

そして、新しい風景。


清四郎と悠理が昼休みに揃って登校した。
悠理はらしくもなく、頬を赤く染め、清四郎の背中に隠れるようにおずおずといった風に。
「遅れてすいません」
そう言った清四郎の顔は晴れやかで、これまで以上に自信に満ちた清四郎らしい笑顔だった。

皆、詳しい経緯は聞かなかった。
冷やかしもせず、ただ「おめでとう」と言った。
美童も可憐も、野梨子も、そして魅録も、それはとても優しい声と表情で。
恐らく祝福だけでなく安堵感も皆の胸にあったのだろう。
清四郎の制服を掴んでいた悠理が「ありがと」と小さく呟いた後、泣き出した。
昨夜から悠理は泣き通しで涙腺が壊れているらしいんですよ、と清四郎が肩を竦めながら言った。
その仕草は照れ隠しにしか見えていないことは多分本人は気付いていなかっただろう。
とにもかくにも幸せそうなふたりの姿に、魅録たち四人は顔を見合わせて苦笑しあった。


(やっとこさ、だったな・・)
魅録は紫煙をたなびかせ心の中で呟いた。
今朝、野梨子の妙にサッパリした顔を見たときに魅録もまるで憑き物が落ちたように気持ちが軽くなるのを感じた。
仮にも失恋したというのに、まるで今まで何もなかったかのような気分だ。
チチとの別離のときの方がまだ心が痛かった気がする。
「所詮こんなものだったってコトかな」
「何がですの?」
つい口に出してしまっていたらしい。いつの間にか隣に来ていた野梨子が湯飲みを魅録の前に置くところだった。
先ほどからずっとぼんやりとしているように見えた魅録がポツリと漏らした言葉が不思議だったのだろう。続きを隣の椅子に座りながら待っている。
「ん?いや、さ」
タバコを灰皿に押し付け、いい香りの立つ湯飲みを手にした。
じんわりと掌が温もる。
この数日間、こんな感覚さえ感じられなくなっていたのだと今更ながらに気付いた。
「やっぱり野梨子が淹れるお茶は最高だな」
「まぁどうしましたの?それに、それが先ほどの質問の答えですの?」
野梨子が拗ねたようにちらりと睨む。
質問に答えなかった所為か、それともそれが「所詮こんなもの」の答えと受け取った所為か。どちらにしても魅録は慌てて否定した。
「違うぞ!さっきのと野梨子のお茶は関係ないっ。お前のお茶は文句なしに美味いんだからな・・・って。なんだよ・・」
野梨子が大きな目を更に大きく見開いたと思うと、「クックックック」と可笑しそうに笑い始めた。
見ると他のメンバーも焦った魅録を不思議そうに見ている。
雑誌の記事に花を咲かせていた美童も可憐も、新聞を読みふけっていた清四郎も、野梨子にもらったお菓子を美味しそうに頬張っていた悠理も。
「なーにやったんだよ、魅録!」
「ちょっと、野梨子どーしたの?」
悠理と可憐が口々に言えば、傍にいて会話を聞いていた清四郎と気付いていたらしい美童が可笑しそうに、しかし同情気味に笑みをこぼす。
「な、何でもねーよ」
「そうですわ、何でもありません」
それでも尚、野梨子は可笑しさを堪えきれずに笑っていたが、魅録がふいと顔を背けたのでほうと息を吐いて落ち着かせた。
野梨子はもう一度可憐と悠理に「なんでもない」と笑みを見せた。
美童が可憐に新しい記事を見せ、清四郎が悠理を自分の方へ呼び寄せたので魅録と野梨子から漸く注意が反れた。

「質問にちゃんと答えてくれないからですわよ?」
子供のようにまだ顔を逸らしている魅録に野梨子がお茶を飲んで言う。
「って、別にたいしたことじゃねーよ。ただなんかこー、思ってたよりもあっさりしてるからさ」
魅録はお菓子の食べすぎだと悠理に注意している清四郎に目をやった。

「わかっていたこと、だからじゃありません?」
言葉が足りなかったかな、と先ほどの言葉は"自分の気持ちが"と足そうと思っていた魅録は、野梨子の顔を見た。
「私もですもの。もっとヒステリックになってしまうのかしら、とか、もっと哀しくて仕方がないんじゃないかしらとか、そんな風に思ってましたの。でもこうして見ると・・・。実際は違うんだなって」

こんなにも穏やかな気持ちでいられるなんて思わなかった。
昨日とも今朝とも違う、感情。
野梨子はその変化を素直に受け入れることが出来て、心から嬉しいと感じていた。
「そうか・・・。そうだな、ホッとしたってのもあるよな」
「えぇ。本当に」


「なー、何の話してんだよう、さっきから」
ついにお菓子を取り上げられた悠理が、恋人から目の前の友人達に仏頂面を移す。
おやつは取り上げられ、参加しようと思った話も内容がさっぱり見えずでつまらないのだろう。
「楽しい話?」
野梨子が笑顔だったのでそう思ったのか、身を乗り出してくる。
そんな悠理に魅録と野梨子は顔を見合わせた後、にやりと笑って悠理に向き直った。
「何でもねェよ」
「えぇ、秘密ですわ」
「えー、なんだよ!」
「僕も気になりますね」
いつしか清四郎まで新聞を折りたたみ、参戦体勢だ。
それでも魅録と野梨子は不敵な笑みを浮かべもう一度「なんでもない」としらを切りとおした。
言える訳もなければ、言うつもりもない。
言ってなんてやるものか、そうとさえ思う。
互いに同じ事を考えていると、目を見てわかった。

"これぐらいの仕返しは当然だろう"

この余裕が、幸せなふたりへのはなむけ。
これからも大切な友人でいられる喜びの証―――。


二人の胸を苦しめていたあの気持ちが全て無くなった訳ではない。
それでも、その大半が昇華したように、すぐに残りも消えてなくなるだろう。


代わりに思い出という形を残して。
花言葉「感謝・変化・愛慕・移りゆく日々」
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