「アカシア」
「なんて顔してんだよ」
      俺がお前に声をかけたのは、疲れきったお前の顔をこれ以上見ていられなくなったから。
      「どんな顔ですか?」
      明らかに疲れた顔で、そ知らぬふりをする。
      俺には、話せないのか。
      俺じゃ、相談に乗れないか。
      お前が何に疲れている、いや、苦しんでいるのか、わかってるつもりだけどな。
      お前とあいつの「親友」として、当事者じゃないからこそ見えてるものもあるんだぞ。
      それは俺にとって少し、キツイものもあるんだけどな。
      お前が言わないのなら、俺が相談してやろうか。
      "さっさとはっきりさせたいふたりがいるんだ"ってな。
      ――――そしたら、お前。なんて答える?
      
      
      
      放課後、魅録の部屋に誘われた清四郎は、そのどこか思いつめたような表情に少し覚悟を決めて共に下校した。
      部屋に入ってからは、暫く、とりとめもない話をして過ごしていた。
      漸くその空気が動いたのは、いつまでも何も肝心なことを切り出しそうな様子もない魅録に清四郎が痺れを切らした時だった。
      「魅録・・・なにか、話があるんじゃないんですか?」
      「・・・お前に隠し事は出来ないな」
      魅録は少し口元を歪めるように笑ったが、明かに様子がおかしかった、等と皮肉れるほどその表情は柔らかくなかった。
      清四郎は、ソファに腰掛けた姿勢を少し正すと真っ直ぐ、俯き加減でベッドに座る魅録を見た。
      「―――なにか、問題でも起こりましたか」
      それでも口の重い魅録に清四郎が先に口を開いた。
      その瞬間であった。
      魅録が勢いよく顔を上げ、自分を見たのがわかった。
      しかし。
      その後の事は余りにも突然すぎて、流石の清四郎も瞬時には何が起こったか理解できなかった。
      「み、魅録・・?」
      「うるさい、黙ってろ」
      清四郎は魅録に抱きしめられていた。
      正確には、座っている清四郎の頭を魅録が自分の胸に押し付けていた。
      我に返った清四郎は、慌てて離れようとした。
      「ちょ、ちょっと、魅録!なんなんですか、いきなり!」
      だが、魅録はそれを赦さなかった。
      「いいからじっとしてろ!それと、これから俺が言うことを、黙って聞け!」
      「なんですか」
      魅録の剣幕に、漸く諦めたのか、清四郎は引き離そうともがいていた手をすっと落とした。
      押し当てられた胸が大きく上下する。
      魅録の、吐いたタバコの匂いが清四郎の頭にかかった。
      
      「――――大丈夫だ、お前は絶対・・・絶対、玉砕したりなんかしない。何でもかでも人より出来てさ、自信満々の嫌味大王のお前だぞ?そんなお前が玉砕するわけないだろ。俺が保証してやるよ」
      
      「魅録・・・」
      魅録はそっと身体を離すと、目を細め胸元の男を見た。
      「よく覚えてたろ。お前が悠理に言った言葉」
      呆気に取られていた清四郎はやがてクッと小さく声を漏らして笑った。
      「随分、皮肉が入ってた気がしますがね」
      「お前相手だからな」
      互いに、にやりと笑い合う。
      「僕、そんな悲壮な顔してましたか」
      「俺にこんな事させたいと思わせるぐらいにはな」
      「よっぽどだったんですね」
      清四郎は深く溜息をついた。
      「悠理んトコ行って来いよ。もしダメだったら俺がまた慰めてやるからさ」
      「どう慰められるのか、怖い気もしますけどね」
      「そりゃもう、いろんなことをして・・・・って、それが嫌なら、何が何でも悠理にお前の気持ち伝えてこい。そんで、ふたりで一緒に戻ってこいよ」
      もう一度、清四郎の頭を抱きかかえた。
      清四郎も今度は初めから大人しくされるがままにしておいた。
      
      「・・・ありがとう」
      そう言うと、ゆっくり魅録の腕を外した。
      「魅録にその気があるのかと、本気で焦りましたよ」
      ニヤリと笑う清四郎に、魅録はその頬を少し引き攣らせ「バーカ」と返した。
      「だけど・・・」
      「なんだよ」
      清四郎はふっと、肩を落とし、先ほどの魅録のように視線を足元に向けた。
      「せっかくですけど、僕は言うつもりはないんですよ」
      「なに言って・・・」
      「今のままで十分なんです」
      魅録の言葉を遮って、顔を上げた清四郎の眼は、酷く力ないものだった。
      「・・・・そんな面して、なに言ってんだよ・・・」
      「え?」
      「・・・・・・言いたくてたまんねーって顔してさ。本気でそう思ってんならいつもみたいになに考えてんのかわかんないポーカーフェイスに徹してみろよ」
      「魅録・・・」
      魅録は清四郎の両肩を掴むと、そのままソファに押し付けた。
      そして鼻先が触れるかどうかというぐらいまで顔を近付け、その眼を見据えた。
      「言っとくが俺の知ってる『菊正宗清四郎』は、こんな、今のお前みたいな情けねぇ面した男じゃないぞ。もっと自信満々の性格の悪そうな面してんだからな」
      清四郎は魅録に射竦められ、体中に悪寒にも似た感覚が走ったのを感じた。
      魅録の今までに見たことがないような眼差しは、真剣そのものだった。
      「―――さっさと俺の知ってるお前に戻れよ」
      魅録は抑えつけていた手から力を抜くと、ゆっくりと上体を起こした。
      「お前が行かないんなら、ここに悠理を呼んでもいいんだぞ」
      そう言って携帯を取り出した魅録を清四郎は静かに制した。
      「その必要はありません」
      すっと立ち上がり、少し乱れた制服を正すと鞄を手にした。
      「魅録には負けましたよ」
      「そうか」
      魅録は短く答えると、満足そうに口端を上げた。
      「もしダメだったら、責任取ってもらいますからね」
      清四郎は、ドアに向かいながらそう言うと、顔だけ振り返り、笑った。
      「任せとけよ。悠理の事忘れさせてやるから」
      「それは安心だ」
      清四郎は静かに部屋を後にした。
      
      
      責任?取ってやるさ、あいつの事忘れさせてやるよ。
      本当は悠理の所へなんて行かせたくなかったってな。
      本当は、悠理に嫉妬してたってな。
      今まで良くわかんなかったけどさ、気付いちまったんだよ。
      お前が悠理の事想ってるってことが、俺にとって結構辛いもんだったってのをな。
      こんな気持ち、認めたくなんかなかったんだぜ?
      お前の事、誰にも渡したくないなんてな。
      おかしいだろ、どう考えても。
      でも、ずっと変な気持ちだった。
      お前が悠理の事見つめるたびに、胸の奥がモヤモヤして、でもそんなお前から目が離せなくて。
      なんか急に、あいつにお前を取られちまうような気がしてさ。
      すっげー、悔しかった。
      だから、お前等の気持ち知ってても、今まで何も知らない振りしてきた。
      だけど、これ以上あいつのことで悩んでるお前なんて見たくないんだよ。
      これ以上、あいつの所為でお前を苦しめたくなかった。
      最近のお前はあいつのことしか考えてなかったろ?
      どうせ、あいつにお前の思考を奪われるんなら、今の全く余裕のないお前じゃなくて、いつもの、今までみたいなお前の方がマシだからな。
      そしたら、俺のことも少しは見てくれるだろうしな。
      
      余裕のないお前なんて、これ以上見たくねぇんだよ。
花言葉「優雅・友情・秘密の愛・プラトニックラブ」
(写真のミモザアカシアでは「真実の愛・秘愛・優雅・友情・秘めた恋」)
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