「えと・・次は・・・」
悠理は辺りを見回し、見覚えのある雑貨店を見つけると、少しだけ顔を綻ばせた。
確かにあの店で、小さな猫のマスコットのついたキーホルダーを見た。
そうそこで、「後でもっと色々欲しくなりますよ、そこで選んでからでもいいでしょう」と隣で苦笑していた男に手を引かれ・・・・・。
そこまで考えて、また表情を硬くした。


あの日は今日と違って土砂降りの雨だった。
「どうします?」と聞く清四郎に、悠理は怒ったように答えた。
「行くに決まってるだろ!水族館なんだぞ、雨なんて関係ないじゃん」
「じゃぁ、せめて車にしましょう」
渋滞を避けるためにあえて電車で行こうとの計画だったが、この雨では、という事なのだろう。だが清四郎が出したその妥協案も、悠理はあっさり一蹴した。
「ヤダ。駐車場に入るのに二時間も三時間も待つなんて時間の無駄だろ」
結局、ふたりは足元を雨で濡らしながら駅まで歩き、そこから電車を二つ乗り継いで東京から少し離れた、まだ出来たばかりだという水族館へと向かった。
その途中、連絡している乗り継ぎの電車へ向かう通路にその雑貨店はあった。


引返そうか、そう思ったがやはり、「空」が見たかった。
何もない処で、ただ、何も考えず何もない場所を見たかった。
だというのに目指しているのは、いつか清四郎と行った水族館。
その傍には、昨日訪れるはずだった海があった。

(なにやってんだろな、あたいは)
結局、全てが清四郎へと結びつく事に悠理は自分を嘲笑した。
空を見たいと思ったのも、海に癒されると言った清四郎の言葉からであり、その空を見るために、と理由を付けてあの約束の海に行こうとしている。
仮に、"ただ空を見るための海"が必要なのだとしても、なにも今目指している場所でなくてもいいはずなのだ。
もっと近郊の処で良い。何より、こうして慣れない電車を乗り継いで行かずとも、無免許とはいえバイクで行けば良い。
今までだって一人で遠出する時はそうして来た。

求めないようにしようとしているはずが、いつのまにか求めていることに気付く。
矛盾だらけだ、と思った。

抑え込もうとする胸中とは逆に、悠理はあの日と同じように、その店の前を後にしていた。




「すっごいよな〜。これってホントの海もこんなふうに魚が泳いでるんだろ?」
「でしょうねぇ。でも勿論数はこんなものじゃないでしょうが」
「うん・・・でも、いいなぁ」
「何がです?」
「うん?・・いや、あたいもこんなトコ泳いでみたいなーって」
暗い室内に水の影が揺らめいている。
大きなガラスに張り付いた悠理は、横を見上げ、そう言って笑った。
やはり天気の所為か、悠理が心配していたほどの混雑もなく、館内はそれこそ水の中にいるようなゆったりとした時間が流れていた。

「夏になったらスキューバーダイビングでもしましょうか」
「ホント!?」
漸くガラスから体を離した悠理に、清四郎は意地悪く笑った。
「初心者用の講習を受ける気があれば、の話ですけどね」
「うっ・・・それってまた勉強って事か?」
試験終わりの御褒美で来ているはずのこの水族館で、また例えどんな小さな事だろうと勉強の話はゴメンだとばかりに、悠理は顔を曇らせた。
「なら、普通に潜るだけでイイ」
「どちらにしても夏ですな」
「・・・・・・海だけでイイ」
どうやら何としても海に行きたくなったようだ。
清四郎は苦笑すると、膨れっ面の悠理の頭を撫でた。
「じゃぁ今度は車でここに来ましょうか。ここに入らなければ駐車場待ちをしなくてもいいでしょ」


あの日とは違う、青い空と青い海が、流れる街並みの合間に見え隠れし出した。
駅員に教えられるまま乗り込んだこの電車はやはり正しかったのだと安堵した。
先日は一つ一つの駅に止まっていた。
だというのに、この電車は幾つもの駅を素通りして、出発してからというもの一度も停車しない。悠理は少し不安になっていたのだ。
「なんだよ、清四郎のヤツ。こんな速いのがあるんじゃないか」
ホッとした所為か、僅かに微笑むと携帯を取り出した。

メールボタンを押そうとした指が、ふと止まった。
ここが電車内だということを思い出したからではない。
メールを送って良い相手ではない、ということを思い出したのだ。
「駄目だっつの」
ひとりごちて、携帯を握り締める。
一つ息を吐くと、もう一度車窓を見た。

―――海が、大きくなっていた。
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