「ちょっと悠理、行儀が悪いから止めなさいって何度言ったらわかるのよ!」
放課後の生徒会室に、仁王立ちした可憐の怒声が響く。
はじめは驚いていた他のメンバーも、二人を見て「またか」というように、それぞれその直前までしていた事に神経を移した。
「あれ、あたいまたやってた?」
そう言いながら、左のポケットから手を出す。
この数日、悠理はぼんやりしていると必ず、スカートのポケットに手を突っ込んでいた。
しかも中で僅かにその手を動かしているらしく、まるで太腿を撫で擦っているかのように見える。
ポケットに手を突っ込んでいるだけでも、可憐からすれば見栄えが悪いのだ。手を動かしているなど、どうしても我慢ならないらしい。
悠理のその行動を見つけるたびに、まるで母親の如く叱っていた。
「またやってた?じゃないわよ。全く変なクセつけて。そのポケットの中に何入れてんのよ」
最初の頃は「まさかそこにネズミでも入れてるんじゃないでしょうね」と疑っていた可憐も、流石にそれはないと納得してはいたが、だからと言ってこれまで見られなかった急なその癖が気にならない訳ではなかった。
「な、何にも入ってないよ」
悠理はいつものように返すと席を立った。
「あたい、帰るわ。今日、出かける予定だったんだった」
可憐の追求から逃れる為の嘘であることは明白である。
だが、可憐も他のメンバーもそれを咎めようとも止めようともしなかった。
悠理のここ数日の、態度の変化に皆気付いていたからだ。
何処か頑なになっている。
だからこそ可憐も、興味だけではなく、きっかけとしてポケットのことを話題にしていたのだ。
しかし、それは裏を返せば、そんな事ぐらいしか今の悠理に関われる事がないと認めざるを得ない辛いことだった。
悠理は、何処かでこの場を避けていた。

悠理が生徒会室を出ていくと、皆の視線は一人の男に集中した。
たった今まで悠理と接していた可憐が、我慢ならないというようにその男に近付く。
「清四郎。あんたあの子に何したのよ」
清四郎は読んでいた新聞から顔を上げると、表情も変えず口を開いた。
「僕は何も。僕にだって、あいつの考えてる事がさっぱりなんでね。こっちが教えて欲しいぐらいですよ」
肩を竦めると、また新聞に顔を戻した。
その態度が気に入らなかったのか、可憐が尚も詰め寄ろうと足を踏み出す。
それを魅録が肩を掴んで止めた。
「可憐。いい加減にしろ」
「だって」
納得いかないと言うような可憐を、魅録は目で制した。

可憐とて、清四郎もまたいつもと違うとわかっていた。
悠理の変化は清四郎との約束の日からなのだ。
清四郎が絡んでいない訳ない。そして、この男の方もかなり堪えているのだ、と可憐も肌で感じて知っている。
悠理は自分の殻に閉じこもり、清四郎はその殻の原因が何であるかにわからずその周りをウロウロしている。
決して、抉じ開けようとはしない。というより、どう開けて良いのかわからないようだ。
それは、いつものふたりらしからぬ関係。
恐らく、こうして何気なさを装ってはいても、今も清四郎自身どうして良いのかわからないのだろう。
可憐は魅録の手を肩から離すと、溜息をついた。
「わかったわよ」

「可憐、今から暇?僕、今日デートが中止になっちゃったんだ〜。暇ならさ、ちょっと付き合ってよ。レストラン予約しちゃってんだよね」
それまで皆のやり取りを聞いていたのかどうかもわからない美童が、折りたたみの携帯をポケットにしまいながら、可憐に近寄った。
訝しげに顔を顰める可憐の鞄を手に、返事も待たずにドアに向かっている。
「ちょっと美童!あたし、行くなんて言ってないわよ」
「え〜、頼むよう。レストランのキャンセルなんて恥ずかしくって僕できないしさぁ」
「行って差し上げたら?可憐。これも後学の為になるかもしれませんわよ」
―――もう一人。
清四郎と悠理の関係がおかしくなってから、様子のおかしくなっていた野梨子が口を開いた。
言ってる言葉はいつもの皮肉がそこはかとなく感じられたが、その笑みはいつものそれではなく、笑おうとしている、というようなものだった。
「もう!わかったわよ!」
可憐は皆を見回すと、フンと鼻を鳴らして美童の待つドアへと向かった。

悠理が去り、美童と可憐が去った生徒会室には静けさが残る三人を支配していた。
清四郎は相変わらず新聞から目を離さない。
野梨子も、手にしている和歌集に没頭している。
魅録は、どうしたもんかと、先ほどの可憐のように溜息をついた。
可憐も薄々だが気付いているのだろうが、言わずにはいられないのだろうと思う。
だが、周りが何か言って元に戻ると言うようなものでもないような気がしていた。
可憐のことは美童が上手くやってくれるだろう。
ならば自分は何をすれば良いのだろう。。
「嫌ですわ、魅録まで溜息ですの?」
和歌集に没頭していると思っていた野梨子がクスリと笑った。
しかしその目は、揺れ動いている。
「ん?んぁぁ、ちょっと疲れ気味でさ」
尤もらしく肩を廻して見せると、清四郎がチラリと視線を寄越した。
魅録はそれに気付かぬ振りをした。

―――あいつの相談にのってやって欲しい

しかし、魅録は悠理と何も話をしていなかった。
どう話せばいいのか、何を話せばいいのか、正直言ってわからないのだ。
悠理は決して、本心は語らないだろう。
それに、魅録はここへきて可憐同様、薄々この"三人"の関係に気付きはじめていた。
問題は、清四郎と悠理、ふたりだけの事ではないのだ、と。
先程の野梨子の揺れる目を見て、確信した。

野梨子が清四郎へ皆とは違う特別な感情を持っている事は知っていた。
幼馴染であり、兄として―――家族に似た感情を。
だからこそ、悠理と過ごす清四郎に、寂しさを感じているのではないのか、と感じる事が今までにもあった。
それが原因となって、今に至っているのではないだろうか。
しかしそれでは、あまりにも哀しすぎるのではないだろうか。
清四郎は確かに今でも野梨子を大切にしている。だが、それと悠理への感情はやはり違うのだ。
幼馴染でも、ペットでも、友人でもない。そんな枠も肩書きも関係なく、ただ一人の男として、ただ一人の女を想っている。
野梨子もそれをわかっているはずだ。気付かぬ筈がない。
だというのにこの変化、となれば、それはやはり哀しすぎる。
悠理か、野梨子。どちらかがアクションを起こしたのだろう。
魅録はもう一度、息をついた。


「俺もそろそろ帰るわ。お前らは?」
いたたまれなくなった魅録は立ち上がりながらそう言った。
「そうですね。皆帰ってしまってする事もないですし。帰りましょうか、野梨子」
「えぇ」

恋愛経験に乏しい自分にこの三人の関係を一気に纏めあげるなど不可能に近い。
そうでなくても人の心には、あるラインからは踏み込むことはできないのだ。
今魅録にできるのは、頑固者揃いのこの三人をこれ以上頑なにしないこと。
(・・・つってもなぁ・・・・)
出て行くふたりの背中を見ながら、やはり魅録は溜息を吐かずにはいられなかった。
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