「アネモネ」
野梨子は部屋に戻ると、疲れたようにその場に座りこんだ。
実際疲れていた。子供の頃から大人に混じり、気難しいお茶の世界でも上手く立ちまわる事には慣れていたはずなのだが。
だが、それでも大して面白くもない話や、表面上の笑顔を振り撒くことに疲れを感じなくなるということはまずなかった。
ふと、隣家の明かりを見上げる。先ほど別れた幼馴染と友人がいるはずのその部屋。
疲れたと感じたのは、むしろそのふたりが原因だったのかもしれない。
そんなことを考え、表情を曇らせる。
「嫌ですわ・・・」
大切な友人であるはずのふたりをそんな風に思ってしまうなんて、どうかしている。
野梨子は壁に手をつき立ちあがると、窓辺に近づいた。
明かりが灯るのその部屋には互いを想い合うふたりがいる。
互いに互いの気持ちに気付いていないふたりを可憐や美童は随分と歯がゆく思っているようだった。無論、野梨子の気持ちにも気付いているであろう二人はそのことを直接口にしたわけではないが。
だが、野梨子にもわかっていた。清四郎が自分には見せた事がないような表情をするのも、誰といる時よりも空気が柔らかくなるのも、みんな悠理が傍にいる時だけだった。
きっと今も、清四郎は悠理に優しい眼差しを向けてるのだろう。
悠理もそれにちゃんと気付いているのかもしれない。意識よりももっと深いところで、それをちゃんと感じているのだ。だからこそ、悠理もまた清四郎を・・・。
知らず知らずのうちに溢れ出る涙は、窓の淵に置かれた白い手にぽたりと音を立てて落ちた。
「ホントに・・・、今日はどうかしてますわね・・・」
自嘲気味に笑い、先日魅録に言った一言を思い出す。
『仕方のないこと』
どれだけ自分に清四郎との思い出があったとしても、どれだけ自分が清四郎を想っていたとしても、肝心の清四郎の気持ちは自分にはないのだ。
大切に思っていてくれているのは痛いほどわかる。しかし、それは「妹」としてでしかないこともちゃんと知っている。
それはあまりにも残酷な事実だった。
そして知った、もう一つの残酷な事実。
悠理への嫉妬心。
出会い方は最悪だったとは言え、今では可憐や美童、魅録と共になくてはならない大事な親友である悠理。もし悠理に何かあれば、身体の一部がどうにかなってしまうのではないかと思えるほど大切な存在だったはずだ。
なのに、その悠理に醜い嫉妬を感じてしまう。
「仕方のないこと」
そう呟いて自分を誤魔化す。
先ほども感じた、自分の中の醜い感情を押し殺す。
清四郎のコートに身を包み、清四郎のマフラーで顔を覆う悠理。
それはまるで、悠理が清四郎自身に包み込まれているような錯覚を覚えた。
胸が苦しくなってぎゅっとコートを掴んでしまった。
この苦しみに慣れる日は来るのだろうか。それとも、こんな苦しさを感じなくなる日がくるのだろうか。
野梨子は、出来れば後のほうであって欲しいと願った。
それは、ふたりの幸せを心から祝いたいという綺麗な思いからではなく、これ以上嫌な人間になりたくないからだという自分のエゴだとしても・・・。
花言葉「はかない希望・恋の苦しみ・君を愛す・はかない恋・見放される・真実・期待・可能性・清浄無垢・無邪気」
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