「ツルバキア」
チャイムが鳴り、全ての試験が、今終った。
漸く一息ついた魅録は、腕を伸ばすと、大きく伸びをした。
「んまっ!剣菱さん!!」
ガラッというドアの開く音がしたと思ったら、女性教師の甲高い声が聞こえた。
見ると開けっ放しになった教室のドアの向こうによく知る後ろ姿が僅かに見えた。
どうやら試験が終ったと同時に悠理が飛び出していったらしい。
クラスの生徒たちはそれぞれ顔を見合わせ、学園名物の問題児を呆れた様に見送った。
教師は首を振り溜息を着くと、教壇に立ち、改めて試験の終了と答案の回収を促した。

頭痛がするとホームルームを省略した担任に少しだけ同情すると、魅録はいつもの様に生徒会室へと向った。
まだ他の教室では教師の声が聞こえる。明日から三日間の試験休みに入るその注意だろうか。
可憐辺りなら、「ほっといて欲しいわよね、中学生じゃあるまいし」なんて、膨れっ面になるのだろう。
魅録はそれを想像し、ニヤリと口端を上げた。
(ま、俺たちに何言っても、確かに無駄だよな)
これまでの仕業を思い、可笑しくなる。
「さぁて、明日から何すっかなぁ」
・・・・・・バイクの仲間と走りに行くのもいいし、メンバーと出かけるのもいいなぁ、あ、後あれも仕上げなきゃな。
魅録は、とても3日じゃ足りないな、等と思いつつ辿りついた生徒会室のドアを開けた。

「清四郎?」
一番最初に目に入ったのは清四郎の後姿だった。
魅録に気付いていないのか、椅子に座ったその姿が動く事はなかった。
「よぉ、お前のクラス随分早かったんだな」
声をかけながら近づく。
だが、相変わらず清四郎に反応はなかった。
「オイ、清四郎」
魅録は不思議に思い、清四郎を覗きこんだ。

「・・・寝てんのかよ」
呆れた様に息をつくと、その隣の椅子を引いて自分も座った。
清四郎は疲れているのか良く眠っている。
普段なら例え寝ていたとしても、声を掛けた時点で気付きそうなものだというのに。
腕を組んで俯き加減に目を閉じる姿は、清四郎の場合、寝ているというよりは何か考え事をしている様にも見える。
「疲れたサラリーマンかぁ?」
そんなことを呟きながらも、無防備に寝顔を晒す清四郎に、知らず知らずのうちに瞳を和らげる。
魅録は暫し、その寝顔から眼が離せなかった。

(それにしてもよっぽど疲れてんだな)
一向に目を覚ます様子のない清四郎に、魅録は目を細めた。
清四郎はこの二週間ほど試験勉強の為、悠理に付きっきりだった。休憩時間はもとより、学校から帰ってもどちらかの家で勉強していたらしい。
剣菱家の車でふたりで登校してくることも一度や二度では済まなかったはずだ。
「お前も大変だな」
互いに想いあっているというのに、何の進展もしないふたり。
清四郎の場合、惚れた女とずっといるのに何もできないという、そちらの方で精神的に疲れているのではないか。
魅録はそんなことを考えると、我ながら下世話なことだなと思い、苦笑を漏らした。

「お前と悠理か・・・」
ふたりの気持ちには本人達がそれぞれ自分の気持ちに気付く前に気付いた自信があった。
そういう事に関して鈍いふたりだ。例え他のみんなとは何かが違うと気付いていたとしても、それがまさか恋愛感情などとは思いもしなかっただろう。
だが一度気付いてしまった想いは、端で見ている魅録にも手にとる様に伝わるほど、加速がつき、膨れ上がっていった様だった。

たった一言を言い出せないふたりをもどかしく思い、そして苦々しく思う。
その苦々しさは、自分でも理解できないほど複雑だった。
いっそふたりが一つになってしまえば、きっと野梨子も吹っ切れるのに。
さっさとくっついてしまえば、こんなもどかしさを感じなくても済むのに。
はっきり口に出してしまえば・・・・・・。
だがある日、そうなる事を恐れている自分に気付いた。
それが何故だか、わからない。
魅録はこの何日かふたりを見るたび、頭の中がもやもやするのを感じていた。
野梨子に言われたように、悠理を好きなのだろうか。
しかしどう考えてもそれではない気がした。
悠理のことは大切だと思う。だが、その気持ちなら野梨子にだって可憐にだって同様のものを持ち合わせている。
いつも結論はそこに達し、先へは進まなかった。
そして今も例外でなく、そこから先へ考えが及ぶことはなかった。

「あー!わかんねっ!!」
魅録はそれ以上考えることを放棄すると、頭をスッキリさせようと煙草を取り出した。
火をつけるため、少し、顔を傾ける。
が、全く起きる気配のない清四郎に目がいき、ライターを離した。
(煙で目が覚めちまうかもな)
そっとライターをテーブルに置くと、火のついていない煙草を咥えながら、テーブルについた肘に顎を乗せ、可笑しそうに清四郎を見た。
(ホントよく寝るよな。・・・・・・そういや、こんな寝顔、悠理のヤツも見た事ないんだろうなぁ)
泊まりこむことがあっても寝ていた場所は別々であったろうし、旅行でみんな一緒の部屋で寝ることはあっても悠理は布団に入れば即効で寝てしまうタイプだ。
好きな男の寝顔を見た事はないだろう。
―――悪いな、悠理。コイツの寝顔は俺が先に見させてもらったぜ。
自分でもくだらないと思いつつそれでもなんとなく優越感を感じ、その寝顔を見つめ続けた。

静けさに慣れてきた頃、バタバタバタと騒々しい足音が聞こえてきた。
この学園であんな足音をたてるのは一人しかいない。
(ちっ、起きちまうじゃねーか)
魅録は思わず舌打ちすると、身体を捻り、背後のドアを振り返った。
程なくしてドアが開き、姿を見せたのはやはり悠理だった。
「あーーー!!清四郎!やっぱりここにいた!!!」
「なんですか、煩いですな」
それまで寝ていたはずの清四郎が、ゆっくり顔をあげた。
「やぁ、魅録。いつからいたんです?」
「よぉ、漸くお目覚めか?」
その言葉で照れた様にはにかむ清四郎に後ろから悠理の腕が巻きついた。
「く、苦しいですよ。悠理止めてください!」
だが悠理はますます清四郎の首を腕で締め上げ、怒ったように言った。
「お前、なんでここにいるんだよ!試験が終ったら昇降口で待ってるって言ったのはお前だろ!!」
「なんだ、それでお前試験終ったと同時に飛び出してったのか」
悠理は魅録の言葉に少し頬を赤らめた。
「だってコイツちょっとでも遅れたら散々嫌味言うんだぜ。それなのに、いくら待っても全然来ないし、教室に行ってみても誰もいないしさー!」
「ハイハイすいません。試験が終った後忘れ物に気付いてここに寄ったんですよ。それにしても、僕がいつ嫌味なんて言いました?偶には時間通りに来れないんですか?と訊いただけでしょうが」
「それが嫌味だっつってんだよ」
(なるほどね。・・なんだよ、なんやかんや言っててもふたりで待ち合わせてどこか行くってのもちゃんとやってんじゃねーか)
実際は清四郎の家で勉強する時、一端自宅に帰る悠理が約束の時間に来た事がなかったというだけなのだが・・・。
そんな事は知らない魅録は、なんだかバカらしい様な、腹が立つような、よくわからない気持ちになった。
「嫌味ですかね?」
真顔で訊いてくる清四郎に、魅録は「さぁな」と眉を上げ、今度こそ煙草に火をつけた。

「それよりお前ら、どっか出かけんのか?」
魅録は悠理の腕に手をかけたままの清四郎に、胸の奥がちくりと痛んだ気がした。だがそれに気付かない振りをして、悠理を見る。
「ディズニーランド〜!今日って絶対空いてるだろ!!」
聖プレジデントの試験は他校よりも少し早めの為、平日の今日は確かに空いているはずだった。
「試験勉強頑張ったご褒美なんだ〜」
漸く笑顔になった悠理に苦笑している清四郎。
だが、魅録はふたりほど笑う事ができなかった。
いつもなら微笑ましいと思える悠理のその無邪気さも、先程の疲れたように眠る清四郎を見た後では少し気分が悪い。
「悠理、今日は止めとけよ」
いつになく厳しいその言い方に、悠理と清四郎は顔を見合わせた。
「なんでだよ」
「清四郎、お前疲れてんだろ。今日ぐらい休んだらどうなんだ?」
僕は、と笑って口を開こうとした清四郎を遮って悠理が呆れた様に応えた。
「あぁ、コイツ疲れてんじゃなくて二日酔いなんだよ」
「は?二日酔い?お前、だって昨日も悠理んちに・・・」
確か昨日も「最後の詰めだ」とか何とかで、剣菱家に行っていたはずだった。
「おじさんに付き合わされましてね。悠理の勉強も見なくてはいけなかったんで大変でしたよ」
清四郎は眉をひそめ、溜息をついた。
「なーにが大変だよっ。コイツあたいがウンウン唸ってる横で平気でとーちゃんと酒飲んでたんだぞ!信じらんないだろ」
人が苦労してんのにさ、とぼやく悠理の横で立ちあがり、カバンを手にする清四郎。
「魅録もどうですか?ディズニーランド」
心配されていたなど全く思ってもいないであろう清四郎は、普段通りの笑顔を見せた。そこに疲れは見えない。
(なんだよ、人が心配してんのにさ・・・)
スキップをしながらドアまで行く悠理を穏やかに見つめる清四郎を見て、魅録は「いいや」と首を振った。
「やっと試験から解放されたんだ。今日は久しぶりにバイクでもいじるよ」
「そうですか。それじゃ」
「じゃな魅録」
「あぁ」

閉まり切らないドアの向こうから、ふたりと可憐と野梨子の声が聞こえた。
「あら、あんた達帰るの?」
(可憐も野暮な事訊いてやがるぜ)
魅録は可憐の声に自嘲気味に口端を上げた。
悠理の嬉しそうな声と、二人の断る声が聞こえる。
(そりゃ行くわけねーよな。みんなで行くんならともかくアイツらふたりのトコには邪魔なだけだし)
入ってきた二人に、意味ありげに笑って見せる。
呆れたような二人のその顔は、きっと同じことを思ったのであろう。

それぞれに、違う感情が交錯する生徒会室に、ふわっと紫煙がたなびいた。
花言葉「残り香・落ち着きある魅力・小さな背信」
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