「夏雨」
「なんだよ。うっせ〜な〜・・たっく・・」
悠理はベッドから手だけを出して先ほどから鳴り続ける携帯を探した。
いつまで経っても手に当たらず、結局起きてその場所を知る。
着信画面で相手を見つけ、途端に笑顔になった。
「せーしろー?どうしたんだよ、約束の時間まではまだ早いぞ」
今日もふたりして出かける約束をしていた。
何も大事なことを伝え合わないまま、一緒にいる時間だけが増えてきた、夏のはじまり。
言葉にすることにこだわりがないと言えば嘘になる。
それでも「気持ちは通じ合っている」、そう思える瞬間が増えてきたからふたりとも何も言わずにきていた。
それを後悔することも知らないで。

「スイマセン、悠理。今日無理になりました。野梨子のおじさんがうちの病院に運び込まれたんですよ」
「え!野梨子んとこの?!大丈夫なのか?」
「あぁ、一応今は落ちついてます。このままいけばたぶんすぐに回復するだろう。どうも疲れがかなりたまっていたみたいなんだ、おじさんも歳ですからね」
「野梨子は大丈夫なのか?あー、いいや!あたいも今からそっちに行くよ!」
悠理は遊びに行く約束が反故になったことよりも、最愛の父親を心配しているであろう野梨子の方が気になった。
気丈に振舞ってはいてもきっとあいつは参ってるはずだから。
「大丈夫ですよ。野梨子も今は落ちついています。おじさんが運び込まれたときはかなり取り乱していましたがね。でもまぁ今日は僕がついていますよ。だから悠理今日は・・・」
「あ、あぁ、わかった。野梨子によろしく伝えてくれな」
悠理はそう言うと電話を切った。

外はいつのまにか雨が降っている。
(結局今日は無理だったってことかな)
本当だったら今日は遊園地に行くはずだった。
だがこの雨では結局行けずじまいであったろう。
悠理は無理にそう思おうとしている自分に気付いた。
先ほど電話を切る直前の清四郎の言葉。
『僕がついていますよ』
それを聞くまでは確かに野梨子のことを心配していた。
だが、今はどうしようもない程胸の中がもやもやしている。
清四郎は「今更野梨子のことを女としてなんて見れない」とそう言っていた。
果たして、今でもそうなのだろうか。
悠理は大きく頭を振ると、自分の中の嫌な感情を吹き飛ばそうとした。
(あたい、何考えてんだ!野梨子は今大変なんだぞ!!)
勢いよくパジャマを脱ぎ捨てると、シャワールームへと向った。
――――菊正宗病院へ向う為。

「清四郎・・・、父様は本当に大丈夫なんですの・・?」
「大丈夫ですよ。だいぶお疲れのようでしたけどね。ぐっすり眠ればまたいつものようにスケッチ旅行に行くことが出来ますよ」
母親や弟子達の前では悠理の予想通り気丈に振舞っていた野梨子だが、幼馴染と二人だけになると途端に気が抜けたように弱々しくなった。
その胸に顔を埋める。
清四郎は小さな肩に手をやり、野梨子の気の済むまでそうしてやろうと何も言わずにただ頭を撫でてやった。
「ごめんなさい。本当は何か今日、予定があったのでしょ?」
野梨子は顔を埋めたまま、清四郎の服を掴んだ。
「大丈夫ですよ。野梨子はそんな事心配しなくても。さっきちゃんと連絡しておきましたから」
清四郎は優しくそう言うと、ふと顔を上げた。
「っゆっ・・・!」
少し先の角に見覚えのある後ろ姿を見かけた。
顔を上げたときにはもう角を曲がる瞬間だった。
だが、見間違えるわけがない。
慌てて追いかけようとする。
だが、野梨子がしっかりとしがみついていて動くことができなかった。
「清四郎?」
野梨子が不安そうに顔を見上げる。
清四郎は追うのを諦めるしか出来なかった。


「いやぁ〜、みんなわざわざ来てもらって悪かったね」
程なく目覚めた清州の元に悠理以外の姿があった。
「おじ様、本当に大したことなくってよかったですわ」
可憐が花を花瓶に挿しながら言った。
「本当ですよ、清四郎から連絡を貰ったときはビックリしましたよ」
「みんな、ゴメンナサイね。私、気が動転してしまって」
野梨子は恥かしそうに目を伏せた。
「ねぇ、そういや悠理は?いつもならお見舞いそっちのけでそこら中にあるお見舞い食べてるのに」
「あの子携帯切ってるみたいなのよ。一応留守電にはいれておいたんだけどね。清四郎、あんたあの子がどこにいるか知らない?最近妙にあんた達つるんでたでしょ」
清四郎は窓の外を見つめていた。
「清四郎!」
隣に立っていた野梨子の声に我にかえる。
「・・・なんですか。大きな声出して」
「お前何ボーっとしてんだよ」
魅録が呆れた様にその肩を叩いた。
「別に・・・」
「悠理が今日どこにいるか知らないか?あいつ携帯の電源切ってるらしいんだ」
「さぁ、僕は・・・」
清四郎はやはり先ほど見たのが悠理だと確信した。
野梨子とのことを見てその場を離れたのであろう。
(悠理はどう思った?何故、逃げるように姿を隠したんだ・・・。今、どこにいるんだ)

窓の外に視線を移した瞬間、病室のドアが開いた。
「悠理!」
ドアの近くに立っていた美童が真っ先に名を呼ぶ。
清四郎は弾かれるように悠理を見た。
―――目が赤い。
悠理は清四郎の視線に気付いていないはずもないのに、真っ直ぐ清州の元へ向う。
「おじちゃん、大丈夫なのか?可憐から携帯に留守電入っててさ、あたいビックリしてさ。遅くなってゴメンな」
「いいや、来てくれてありがとう。たいしたことはないんだよ。少し疲れが出たみたいでな」
からからと笑う清州に悠理も少しだけ笑みを返した。
「でさ、ホント悪いんだけどあたいもうすぐに行かなきゃいけないんだ」
「あんた、今来たトコじゃない」
「ごめん。出先の途中でちょっと寄っただけなんだ」
そう言いながら悠理の足はすでにドアに向っていた。
「悠理くん、悪かったね」
「ううん、いいんだ。じゃ」
まるで何かから逃げるように、身を翻して病室を出ていった。
「なんだぁ。あいつ・・」
他のメンバーが顔を見合わせて首を捻る中、清四郎だけはただそのドアを切なげに見つめていた。
「清四郎君」
突如清州が清四郎を呼んだ。
「どうしました」
今度はにっこり返事をする。
清州はそんなの清四郎に少し疲れたような溜め息をついた。
(どうしてこの子は・・・・)
「少し頼みたいことがあるんだが」
「なんでしょう」
「耳を貸してもらえないか」
清州の言葉に一瞬目を丸くした清四郎だが、すぐに耳を近づける。
何事か囁かれたあと清四郎は勢いよく離れ清州の顔を見た。
少し紅いようにも見えるその顔に清州は満足したように笑みを浮かべた。
「どうしたんだよ、清四郎」
「父様、何を言いましたの?」
「いや、たいしたことじゃないよ」
娘とその友人たちにも笑顔を向けると、清四郎に続けた。
「出来るだけ早く頼むよ」
「おじさん・・・どうして・・・」
「絵描きの眼を甘く見ないで貰いたいね。さ、間に合わなくなる前に行ってきなさい。いい結果を待ってるよ」
清四郎は勢いよく、病室を出ていった。
「なんなんだ、悠理といい、清四郎といい・・・・」


清四郎は、走った。
閉まりかけたエレベータに滑りこむと階数表示の数字を見つめた。
一つ一つ降りていくその時間がやけに長く感じる。
(頼む、追いついてくれ・・)
エレベーターが一階についた途端、飛び出す。
上手く、他の障害を避けながら、出口へと向う。
外は相変わらず雨が降り続いている。
傘はなかったが、そんなことはどうでもよかった。
外に出ようとした瞬間。
ロビーの片隅のソファで小さな男の子と話す悠理の姿が見えた。
「悠理!」
泣いている子供に、目線を合わせ頭を撫でている。
抱き上げ、どこかに向おうとする悠理を慌てて追いかけた。
「悠理」
すぐに追いついた悠理に後ろから声をかける。
悠理の身体がびくりと揺れた。
ゆっくり振り返る。
「あ・・せいしろぉ・・・・」
気まずそうにすぐに眼を逸らす悠理。
「どう・・したんですか・・」
「コイツが、ロビーに一人でいて・・・泣いてたし・・。それで、気になって・・・」
「どこに、行くんです」
「コイツの病室・・。薬飲むのが嫌で、逃げて来たっていうから・・。飲まなきゃいけないって・・」
清四郎は悠理に抱かれるその子供に近づいた。
「僕、もうお薬飲んでもいいと思ったのかい?」
「うん、お姉ちゃんが病気が治ったら一緒に遊ぼうって言ってくれたんだ。でもお薬飲まなきゃ治らないからって」
「そうですよ。お薬は君の中にいる悪い病気をやっつける為に飲むんですからね」
「うん!」
「さぁ、僕の所へおいで」
悠理が抱くにしては少し大きいその子供を自分の腕の中に移した。
悠理も素直に渡す。
「じゃ、清四郎後頼むよ・・」
悠理は顔を合わせないままそう言うと、今来た方へと戻ろうとした。
その手を清四郎が掴む。
「悠理。後で話があります。もう少し付き合ってください」
「あ、あたい、これから行かなきゃいけないとこが・・・」
清四郎はそんな悠理を無視して、男の子が誘導するまま歩き出した。
悠理は清四郎に手を引かれたまま、辛そうにその背中についていった。

子供を病室に送り届けた後、清四郎は悠理の手を引いて最上階の会議室へと上がる。
そこに向う間中ふたりは無言のまま過ごした。
中に入ると、清四郎は漸くその手を離した。
悠理は手が離された途端清四郎に背を向けた。
「いやぁ〜、ホントおじちゃん何ともなくってよかったな。お前から連絡貰って大丈夫だとは思ってたけど。・・・・・だから、買い物に行ってたんだ。そう、そしたら、雨ひどくなってきてさ。しかも携帯見たら可憐から留守電入ってただろ?慌てて聞いたらおじちゃん意識戻ったって言うし、雨は止まないし、参っちゃうよ・・・」
まくし立てるように次から次へと言葉を発する悠理を後ろから抱きしめた。
「お、おい!清四郎、どうしたんだよ」
悠理はその腕を離そうとする。
だが、清四郎はさらに力を強め、悠理の首筋に顔を埋めた。
「・・・せいしろ・・、腕、痛いよ・・」
「嘘をついても無駄ですよ。悠理の嘘に騙される僕じゃないことぐらい、よく知ってるでしょ」
「べ、別にあたいは嘘なんか・・・」
「やっぱりさっきのは悠理だったんですね」
悠理の身体が大きく揺れる。
「どうして、逃げたんですか?」
「なんのことだよ。あたいは、別に逃げてなんかないぞ。ホントに今ここにきたトコなんだから」
その声は震えている。
「僕は自惚れているだけですか、悠理がヤキモチを妬いてくれたんだと」
悠理の言葉を無視して続ける。
「野梨子が僕の胸にしがみついていたから、それを見て誤解したんだと。そう思ってもいいんですよね」
「な、何言ってんだよ。なんで、あたいがそんな誤解しなくちゃいけないんだよ。大体あたいはヤキモチなんて・・・」
「なら、どうしてそんなに目が赤いんですか」
清四郎は悠理の身体を自分に向けさせるとその眼を覗きこんだ。
「こ、これは・・、ね、寝不足・・・」
悠理は顔をそらせる。
「僕はあの時から、悠理との距離が少しずつ近づいていってると思ってた。ふたりでいる度に悠理を近く感じた。・・・・言葉にしなくても悠理は僕と同じ気持ちでいてくれていると思ってました。だけど、それも全部僕の思い過ごしなのか?僕は自惚れていただけなのか、悠理も僕のこと・・・」
両腕を掴んでいた清四郎の手から力が抜けた。

悠理はこれが嫉妬だということはいやというほどわかっていた。
そして嫉妬だけではなく、自分の場所だと思ってた清四郎の胸に野梨子がいたこと、それを清四郎も赦していたこと。そして自分の場所だといつのまにか思いこんでいたこと。
それが、そう思う自分がとても嫌で、自分で自分を軽蔑したくなった。
(別にあたいらは付き合ってたわけじゃない。清四郎があたいのことをどう思っているかなんて知らない。訊いたこともない。別に清四郎が誰を抱きしめようとあたいには何も言う権利なんかないんだ)
だけど、悠理は無性に悲しかった。
野梨子に対しての嫉妬と罪悪感。自分に対しての嫌悪。清四郎に対しての想い。
全てが悲しかった。

「・・・・・あたいは、・・・お前と一緒にいると楽しかった。お前のこといっぱい色んなこと知って、ふたりで笑って、ふたりで遊びにいって、すごい楽しかった。お前がコートになってくれるとすごく暖かくて、あたいが枕になってやるとお前は子供みたいに安心しきった顔して眠って。それがなんか嬉しくって。でも!」
顔を上げて、新たに流れ出す雫を拭うこともせず清四郎を見上げる。
「でも、あたいらは・・・、お前も・・なにも言わないから・・・、言って欲しいと思っても、言いたいと思っても、・・・・すごく楽しかったから・・・。だけど、お前はやっぱり野梨子のことが好きなんじゃないかとか、・・・お前が野梨子の頭撫でてて、それ見たらなんか・・あたい自分の場所取られた見たいな気がして・・・。おかしいよな、別にそんなんじゃ・・・・ないのに・・・」
「悠理・・・」
「あたい、なんか、自分が嫌んなったんだ・・。野梨子のこと心配なのに・・・。なのに、それでもあたいは・・・。こんな自分が嫌だったんだ。だから・・」
悠理の言葉は途中で遮られた。
清四郎にその唇で遮られた。
どこで泣いていたのだろうか、冷たくなっていた悠理の唇は清四郎の熱で徐々にその温もりが戻ってくる。
身体もその体温で熱が戻ってくるように熱くなった。
清四郎の背中に腕を回し、その体温を身体の全てで感じる。

「悠理、愛してる」
唇が離れると清四郎は悠理の瞼にキスをしてそう言った。
「僕達はあれだけ色んなことを話してきたのに、一番言わなければいけないことを言わずに今まできてしまったんですね」
「うん」
「愛してる、これからは何度でも言います。だから、自分を嫌わないでくれ。僕は悠理を愛してるから。ここは悠理の場所だから・・・」
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