「夏花」
「う〜ん・・・・こっちだな」
悠理は右手の紙片を睨み付けると、顔を上げ真っ直ぐ人差し指を指した。
だが、それでもやはり自信はなかったのか、手の中の紙片を同じように横から覗きこんでいた清四郎の顔をちらりと窺うように見た。
「この地図じゃ、確かにこの道以外なさそうですよねぇ」
珍しく清四郎も考えるように顎に手をやり地図と周りを確かめると、決心したようにエンジンを切った。
「ここから先は、どうやら自分の足で行くみたいですね」
キーを抜き取り、外に出る。
バタンと音を発てて閉まったドアのウインドウに午後の燦然と輝く太陽が反射していた。

そこは車ではとても進めそうにない、林の中の道。
とりあえず舗装はしてあるのだが、車一台通れるか通れないか。
ふたりは剣菱家の執事である五代に描いてもらった地図片手に向日葵の咲き乱れる場所へと、ドライブに来ていた。
予定より、十日遅れの向日葵畑。
本当なら、今日出かける事も悠理は良い顔をしなかった。
三日続いた高熱の所為で、清四郎は入院を余儀なくされていたのだ。
漸く、二日前に退院したところである。
いくら人並外れた体力の持ち主とは言え、さすがに本調子ではないはずだった。
向日葵は来年にしよう、という悠理の言葉を笑顔でかわすと、少し時期の外れてしまった向日葵を退院したその日からあらゆる情報源を駆使して探しはじめた。
だがその場所は、意外に近くの情報提供者、五代によってもたらされた。
なんでも、彼が幼い頃育った場所に、観光のためでなく、趣味で広大な畑に向日葵を植えている―――悠理に言わせれば変人―――人がいるらしい。
場所的にも、観光用に栽培されているそれらよりも高地にある為、後れを取った今頃が丁度良い見ごろのはず、だという事だった。

「大丈夫か?辛くないか?」
緩やかな傾斜の林道を悠理は率先しつつ、時折振り返っては、清四郎に不安げな眼を見せる。
「朝からもう何度目ですか?そのセリフ。いい加減聞き飽きましたよ」
この言葉に頬を膨らませる悠理ではあったが、その表情はすぐに笑顔に戻る。
清四郎の表情もまた、悠理を笑顔にしてしまうものだったからだ。
「この地図だと、この坂を上がりきれば向日葵なんだよなー?」
悠理は清四郎が自分に追いつくと、もう一度紙片を取り出して確認するように見た。
「その筈ですよ。お待ちかねの本物の向日葵畑です」
そもそもは一冊の雑誌であった。
互いに気持ちを隠して、"友人"というカテゴリーの中に甘んじて過ごしていた頃、悠理が一冊の雑誌の広告を見せた。
それはペット用グッズの雑誌、というかカタログで特集記事として「ペットと泊まれる旅館、ホテル」が組まれてあった。
その関連か、何処かの旅館の広告に見開きページ一杯に青い空と、向日葵の大群がキャッチコピーと共に掲載されていたのだ。
「今度、こういうとこ行こうぜ」
互いの事を良く知るために、という名目でふたりはあらゆる所へ遊びに出かけていた。
だから、悠理がこうして「どこに行きたい」とうのは、ふたりにとっていつもの事であった。
しかし、清四郎の入院を境にそれは少し意味を変えた。

木漏れ日の下を、悠理が弾むように、他愛のない事を話しながら歩く。
その少し後を相槌を打ちながらゆっくり歩く清四郎のスピードと、悠理のそれは不思議なほど合致していた。
(いつからだっただろう・・・・)
清四郎はふと笑みを漏らした。
足の長さも歩調も、当然歩き方も。全てが違うはずなのに。
こうしてふたりで出かける様になるまでは、そのスピードは確かに違ってたはずだった。
だが今は、気付けばふたり同じペースになっている。
意識して合わしているつもりなどないが、知らず知らずの内にお互いの歩調に合わせ出したのかもしれない。
清四郎は、そんなことを考えてなんだか、くすぐったい様な面映いような気持ちになった。
意味を変えたふたりの関係は、こんなにも素直に、誰に憚る事なく悠理の事を考えらる。それが無性に嬉しかった。

「あ、清四郎。あそこ!」
「見えましたか?」
悠理が立ち止まり、前を指差しながら、振り返る。
「違う。なんか・・・家、か?」
首をかしげる悠理の隣に並ぶと確かに、木々の隙間―――少し道から入った所に古びた洋館が建っているのが見えた。
「こんな所に人住んでんだなぁ」
今度は並んで歩き出すと、悠理は少し、恐る恐るといった風にその洋館を覗きこむように見た。
「この舗装道路は、ここの人のためのものかもしれませんね。ほら、横に車が止まってる」
その車もまた、建物の一部ではないかと思えるほどしっくりと寄り添うように止まっていた。
「かなりの年代物ですよね。・・・ん?悠理、あれ見てください」
清四郎は車から建物の方へと視線を移していた。
古びた洋館というものに、あまり良い印象のない悠理は、とりあえず廃墟という訳ではないということにまずは安心していた。
出窓には真っ白なカーテンも下がっているし、何より玄関のドアが開けっ放しになっている。しかもちゃんとストッパー代わりにこれまた古びた椅子で抑えてあった。
そして清四郎の視線も、そこにあった。
「お・・るごー・・・オルゴール工房、って書いてあんのか?ここが?」
「らしいですよ」
あからさまに不審そうな顔をする悠理に、肩を竦めて返した。
椅子の上に立てかけられていた、小さな板。そこには工房の名と共に、御自由にお入りください、との言葉が添えられていた。
「入ってみますか?」
その言葉に顔を引き攣らせた悠理を見て、清四郎はニヤリと笑うと一人、その洋館に向かった。
「あ、清四郎!」
後ろから悠理が走りより服を掴んでくる。
「だ、大丈夫なのか?」
「変な感じはしないんでしょ?」
「う、うん・・・」
しかし悠理は清四郎の服を放す事なく、その後に続いて中へと入った。

ギシリ。
歩くたびに古い家独特の床の軋む音が、ふたりを追いかける。
その音の他に、静かだと思っていたその中の、更に入ったところにあるドアの開け放された部屋から囁くような話し声が聞こえてきた。
悠理の清四郎の服を掴む手に力が篭る。
清四郎はろくに周りを見ようともしない悠理に小さく微笑むと、ほら、とその細い腰に手を添え、自分の前に出した。
「あ・・・・」
その部屋には、真ん中に小さなスペースを残して、壁際に大小様々なオルゴールが並んでいた。
それを興味津々という顔つきで見つめる子供。
話し声は、その子供と彼の両親のものだった。
清四郎はこちらに気付いた彼等に会釈すると、悠理を促すように中に入った。
まるで、それを待っていたかのようにどこからともなく、柔らかな音色が響きだした。
どうやら工房の主が見学客のためにオルゴールを動かしてくれたらしい。
「すご・・・・」
先ほどまで怖がっていた筈の悠理が、声を漏らした。
吹き抜けの高い天井と、質の良さそうな樹で出来た壁。これらが恐らく元から優しい音色を更に柔らかくしてるのだろう。
全てを包み込むような、その音色。ふたりの手が近付き、重なった。


「なんか、不思議、だよな」
「何がですか?」
ふたりはまた、並んで、ゆっくりと坂道を登っていた。
清四郎の問いに、恥ずかしそうに硬く握り合わされた手を上げる。
「これ・・・。だって、今までコートとか膝枕とか、そういうのはしてたけどさ、手ってこんな風にした事ないなーって」
「世間一般の順序からしたら、僕等結構バラバラでしたからね」
清四郎は可笑しそうに笑うと、掌だけで重なっていたそれを指と指を絡めるように握りなおした。
悠理の顔が紅く染まる。
「バ、バラバラの方がさ、あたいららしいっちゃあたいららしいけどな」
「それもそうですね」
ふたりは顔を見合わせると、微笑みあった。
しかし清四郎の優しい瞳に、悠理はやっぱり照れると、慌てて後ろを振り返った。
「あ、あの家族。来ないじゃん。まだ、あそこにいるのかなぁ」
「帰るトコだったのかもしれませんよ。僕達、ここに来るまでに時間がかかりましたしね」
「そか、そうだよな・・・」

悠理は、なんだか急に清四郎の顔を見る事が出来なくなった。
自分でも言った通り、後ろから抱き締められたり膝枕をしたり、手だって、全く握った事がないわけではない。キスも、した。
それなのに、繋いでる右手が腕にかけて妙に力が入らない。
(き、緊張してんのか?あたい・・・)
清四郎の手はそれに気付いているかのように、しっかりと握っていてくれている。
その嬉しさと、安心感と、それらと同時に感じる胸の高鳴り。
先ほどのオルゴールの音色よりも、優しい気持ちになれる。
慣れないそれが、照れくさかった。

「悠理、見えましたよ」
頭一つ高い清四郎が、先にその黄色と緑の海を見つけた。
照れて下を向いていた悠理も、その言葉に、今自分が立っている場所が坂の頂上である事を知り、足元に広がった、あの写真で見た風景よりも少し小さいそれを目の当たりにした。
今まで両脇にあった林が途切れ、登ってきた坂道と同じぐらい緩やかな一本の下りの道が向日葵畑へと続いている。
小さい頃見た、絵本の世界のようだった。
「うわ・・・」
大きな緑の葉の上に大輪の黄色い花がふわりと浮いている。
その全てが、ふたりを見つめているようだった。
「近くまで降りますか?」
そう言って、清四郎は既に足を踏み出していた。だが、悠理はその場から動かなかった。
「ここでイイ。こっから見てる・・・」
視線を向日葵に釘付けにしていた。
「なら、こっちへ」
清四郎はそんな悠理に瞳を和らげると、繋いでいる手を引き、木陰に腰を降ろした。
ひんやりとした風がふたり傍を通り過ぎていく。
「ここでゆっくり見ましょう」
「う、ん・・・」
目の前の景色に、呆然としていた悠理もストンと力なく腰を降ろした。
「どうですか?御感想は」
清四郎はからかうように悠理の顔を覗きこんだ。
「凄い・・・。なんか想像してたのより、ずっと凄い・・・」
五代の知り合いである"変人"が趣味で栽培しているはずの、向日葵畑。
しかしそれは明らかに一人の趣味の範囲ではない気がした。
五代の話では、毎年こうして大輪の花々を咲かせているらしい。一年草である向日葵を、ここまでにするには並大抵の労力ではないだろう。
何かよほどの思い入れがあるのだろうか。
―――悠理が望むのなら、この景色を自分も作り出してみたい、と清四郎が思ったように。
「流石に、はじめはきっと、もっと小さかったんでしょうね。それが年月を重ねる毎にこうして増えて」
「こんないっぱいになったのか?」
「たぶんね」
弾かれたように自分を見た悠理に清四郎は優しく応えた。
悠理も恥ずかしそうに目を伏せると、小さく笑う。
「・・・・なんかそれって、あたいらみたいだな」
「え?」
清四郎が訊き返すと、悠理はその目を見つめにっこり笑った。
「コートして」
悠理は返事も待たずに繋いでいた手を放すと、清四郎の膝の間に入り込んだ。
呆気にとられていた清四郎も、すぐに悠理の体を抱き締める。
「どうしたんですか、急に」
訝しげな清四郎に凭れるとその腕を抱え込むように掴んだ。
「最初はさ、なんも知らなかっただろ、お前の事。こうしてもらったら暖かいって事も知らなかった。でも、一個一個色んな事話してさ」
「今、こうしていられる?」
悠理の言わんとするところがわかって、清四郎は少し腕に力を込めた。
「うん」
「そうか、そうですね。この向日葵畑と同じですよね。最初は悠理の事何も知らなかったのが一つずつ色んな事を知って、段々悠理の事ばかり考える様になってそして自分の気持ちにも気付いた・・・・・って、おや悠理、耳真っ赤ですよ?」
「あ、当たり前だろ!バカ!」
悠理は耳だけでなくもちろん顔も真っ赤にさせていた。

「来年も来ましょうね、ここへ」
「うん・・・・。なぁ、どっちが増えてるかな」
顔だけ振り返った悠理に優しく微笑む。
「それはきっと僕達の方ですよ。まだ、もっと悠理の事を知りたいですからね」
「あたいも・・・。もっと―――――」
そっと、ふたりの唇が重なった。
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