「秋風 −誤解?−」
菊正宗清四郎は、本日もいつもと同じように隣に住む幼馴染の野梨子と登校していた。
「ねぇ、清四郎」
「なんですか?」
「なんだか、いつもと様子がおかしくありません?」
「野梨子もそう思いますか・・・」
二人は学校が近づくにつれて、聖プレジデント学園の制服に身を包んだ人々の自分達を見る視線に不穏なものを感じ取っていた。
眼を向けるとあからさまに反らされる。
そして、またひそひそとやり始めるのだ。
「なんなんでしょう」
「なんなんでしょうね」

二人が首を捻りながら校門をくぐると後から元気のいい声が追いかけてきた。
「せーしろー!野梨子、おっはよーー!!」
振り返るまでもなくその声の主が悠理だとわかる。
程なく、横に並んだ悠理に二人も挨拶を交わす。
「おはよう、悠理。今日も朝から元気ですわね」
「あぁ、今日は特にな。朝からなんだかサイコーに気分がいいんだぁ」
「何かいい事でもあったんですの?」
「別に。昨日ヤキイモいっぱい食べたぐらいだけどな」
野梨子は悠理がそう言った瞬間、隣の男がふと優しく笑ったことに気付いた。

「あの後、胸焼けしませんでしたか?」
「あれぐらい大丈夫だよ」
「その身体のどこにあれだけの芋が納まるんでしょうねぇ。一度悠理のお腹の中を見てみたいですよ」
「なに言ってんだよ」
悠理は何を勘違いしたのか顔が真っ赤になっている。
そしてそれを誤魔化すかのように話題を変えた。
「なぁ、あたいらなんかさっきから見られてるか?」
「悠理もそう思いますか」
「私達がここへ来る途中もずっとこうでしたのよ」
やっとふたりの間に口を挟むことができた野梨子が言う。
「お前ら、なにやったんだよ」
からかうような眼で二人を見る悠理。
「なにもしてませんよ、悠理じゃあるまいし」
「そうですわ。きっと気のせいですわよ」
「そうかぁ?」
「ともかく早く中に入りましょ。今日は悠理の為に新作のお茶菓子を持ってきたんですのよ」
野梨子が微笑みかける。
「ホントー?!うれしっー。野梨子愛してる〜!!」
「まぁ、悠理ったら」
野梨子はくすくすと笑うと、校舎へ飛んでいった悠理の後を追いかけた。
清四郎は二人の後姿をゆっくりついて行きながら、校舎へと入っていった。

放課後、野梨子が生徒会室に向おうと教室を出たときの事だった。
女生徒が1人、廊下の隅でコチラを伺っている。
野梨子は、気にはなったが面識のない生徒だったので声をかけずにその彼女の前を通りすぎようとした。
と突然その女生徒が声をかけてきた。
「あ、あの・・・。白鹿様」
今にも消え入りそうなか細い声である。
野梨子は足を止め振りかえった。
「なんでしょう?」
優しく微笑むと、緊張していたような表情がすこし和らいだ。
「少し、お時間よろしいですか?」
「えぇ、時間ならたっぷりございましてよ」
「いえ、ほんの少しで結構なんです」
「わかりましたわ。ここでよろしくて?それとも場所を変えたほうが?」
「ここではちょっと・・」
放課後とはいえ、まだ周りには何人か生徒が残っていた。
「なにか、話しづらい事ですかしら。なら、生徒会室なんてどうでしょう。もし何か相談されたいことがあるのでしたら、きっとみんなお役に立てますわよ」
「い!いえ!私は白鹿様だけにお話が!!」
微笑む野梨子に女生徒は何故か妙に慌ててそれを止めた。
「そうでしたの。ごめんなさい。それじゃぁ、図書室にでも参りましょうか。あそこなら人目も少ないですし」
「ありがとうございます」
女生徒は相変わらず赤い顔のままペコリと頭を下げた。

図書室には幸い生徒の姿は見えなかった。
野梨子は1つ椅子を引くと彼女に座る様促した。
「さぁ、どうぞ。で、お話というのは?」
自らも隣に座ると、にっこり微笑んだ。
「あ、あの・・・・」
女生徒はなにか言いよどんでいる。
野梨子はせっつかず相手が話せるときがくるまで静かに待つことにした。

「あの、白鹿様は菊正宗様とご婚約されいますのよね?」
意を決したように顔を上げた彼女はやっと口を開いたかと思ったら、とんでもない事を言い出した。
「はっ?」
野梨子もついはしたない声を出してしまう。
「い、今、なんと仰いましたの?」
「ですから、白鹿様と菊正宗様が・・・」
「私と清四郎が婚約?どう言う事ですの?」
「隠さなくてもおよろしいんですのよ。私達、ちゃんと心得ておりますもの。なにせ菊正宗様は一度剣菱様とご婚約されていた事がおありですし、その菊正宗様が今度は白鹿さまとだなんて、やはり世間体と言うものがおありですものね。でも、私達は剣菱様より白鹿様とご一緒になっていただきたかったので本当に嬉しいのですわ」
ほんのり頬を染めながら女生徒は嬉しそうに言った。
「あ、あの、ちょっとお待ちになって・・」
野梨子はこの目の前の女生徒の話にまったくついていけなかった。
「でも、私。昨日見てしまったんです」
女生徒は野梨子の狼狽にも気付かず話を進める。
「み、見たって何を・・・」
「菊正宗様と剣菱様がふたりで公園にいらっしゃるのを。それはそれはとても楽しそうで、まるで恋愛映画に出てくる恋人同士の様でしたわ」
心なしかウットリとした表情で語る。
「清四郎と、悠理が?」
野梨子はますます、ついていけなくなった。
(どうしましょう、この方なにかご自分で色々想像なさった事と現実との区別がつかなくなっているんじゃないかしら)
野梨子はこの世の中にはそういう人たちがたくさんいることを可憐から聞かされて知っていた。
ちょっと逃げ腰になる野梨子。
だが、彼女の次の言葉でそれがあながち想像の世界だけではない事がわかった。
「昨日私が、公園の傍を歩いておりましたら・・・」

清四郎と悠理が公園のベンチにふたりで座りヤキイモを食べていた。美味しそうにヤキイモをほおばる悠理を清四郎が優しく見守り、悠理の飲み物がなくなると自分の飲みかけを躊躇うことなく差し出した。
そして、ヤキイモを食べ終わったかと思うと、今度はこともあろうかベンチの上でいかがわしい行為を始めたという。
その後ふたりが抱き合っていたと、身振り手振りで、彼女は熱く語った。
野梨子は、その様子を呆気に取られながら聞いていた。
(やっぱりこの方、なにか勘違いをされているのでは・・。でも、ヤキイモがどうのと仰っていましたわね。悠理もたしか今朝そんな事言ってましたかしら・・)
「・・・私、許せません!!」
野梨子が考えを巡らせていると、女生徒がいきなり立ちあがって叫んだ。
「な、なに?」
「あっ、あの、失礼しました。私少し興奮してしまって・・・」
「は、はぁ・・」
「でも、本当に許せませんの。白鹿様には申し訳ないのですけど、菊正宗様はひどいお方です」
「はぁ・・」
「だって、こんなに素敵な白鹿様と言う婚約者がおいでなのに、いくら元婚約者だったとは言え、剣菱様とふたりでこそこそ逢引などなさっていただなんて。いいえ!元婚約者だからこそ許せませんわ!!」
「・・・」
「こんなお話、本来なら白鹿様にするべきではないと私も悩みましたのですけど、今朝の皆様のご様子を見てこのままじゃいけないと思いましたの。白鹿様!!」
「ハ、ハイ」
「白鹿様はあのお二人に騙されておいでですわ!!あのおふたりは婚約を解消した後もああしてお会いになっています!あんな方、剣菱様にさっさとお渡しになった方がいいですわ!!白鹿様にはもっと素敵な方がきっとおられます!!」



「きゃぁーーーーーっはっはっはっはっはっ!!!!」
「なんだよ、それ!!!すんげーおもしれーーー!!!」
「・・・っあぁ、ぼ、僕もう・・ダメ・・・、死にそう・・・」
「あたいと清四郎が逢引だぁーー!?」
「じょーだんじゃないですよ。なんでわざわざ悠理と逢引しなきゃならないんですか!!」
「私、もう、なにがなんだか・・。話を聞いてるときはただただ呆気に取られていたんですけど、だんだん可笑しくなってきて・・」
野梨子は熱く語り続ける女生徒からやっとの思いで逃げ出すと、一目散に生徒会室に入り先ほどの話をみんなに聞かせた。
清四郎と悠理以外は窒息しそうなぐらい大笑いをしている。
すっかり悪者にされたふたりは憮然としていた。
「朝からのみんなのあの視線はこの事でしたのね」
笑いを堪えようと必至な野梨子が言った。
「昨日の放課後の話なのになんでみんな朝から知ってんだよ」
「バカねー、そういうオタクの子達にはネットワークがあるのよ。その子もどうせ野梨子のファンかなんかでそういう話を広めたんでしょ」
「全く迷惑な話ですな」
お茶をすする清四郎。
その隣では悠理が煎餅を音をさせて噛み砕いた。
「それにしても、その話よく出来てるよね。清四郎と悠理が恋人みたいだった?ベンチでいかがわしい事ってなんだよ。オマケに清四郎が悠理の事抱きしめてただなんてさ」
美童は今にも噴出しそうだった。
「別にあたいら変なことなんか何もしてないぞ!」
「何赤くなってんのよ、悠理。そんな大声出さなくても誰もそんな話信じちゃいないわよ」
「そうですわ。悠理と清四郎が恋人同士みたいだったなんて・・・」
野梨子は言いながらもまだ笑っている。

(僕とした事が・・まさか、見られていたとは、迂闊だったな)
清四郎は昨日のことを思い出して顔が赤くなるのを感じ、肘をついてそれを誤魔化すように顔の半分を手で覆った。
清四郎とてああいうことをすれば他人から見ればどう思われるかぐらいわからなかったわけではない。
だが、初めこそ照れもあったが腕の中で満足げにくつろぐ悠理の笑顔を見て、自分もまたその状況に「もう少しこのままでいたい」という思いが腕を離すことをさせないでいたのも否定できなかった。
(その生徒には申し訳ないが、この場は単なる妄想話と言うことで済んで良かったですよ)

ひとしきり笑って気が済んだのか、清四郎があれやこれや考えている間にもう他のメンバーは違う話題で盛り上がっている。
清四郎は漸く一息つくと、湯のみを手にした。
「・・・ほら、言っただろ」
仏頂面の悠理が顔を合わせないまま、ぼそっと呟く。
清四郎もそれに倣って小声で返した。
「何がですか」
「お前と野梨子の事だよ。みんな、お前らはそうだと思ってるんだって」
「一体どこをどうしたらそういう風に見えるんですかね」
残りの4人に会話を悟られないように気を配りながら、さりげなさを装う。
ここでふたりが小声で話ている事がばれれば、また何を言われるかわかったものじゃない。
だが、ふたりの危惧を他所にメンバー達はそれぞれの会話に集中しているようだ。

「お前の態度そのものだろ」
「なんか棘のある言い方ですね」
「別に」
悠理は自分でも嫌な言い方だという事はわかっていた。
どういうわけだか、先ほどの野梨子の話を聞いてから胸の中がもやもやしている。
別に清四郎と恋人同士に間違われたから気分が悪いというのではない。その点についてはただ驚いただけだった。
清四郎と野梨子がやはりそういう風に見られている。
その事が昨日自分で言っておきながら、それがはっきりと他人の口から出た事がなんだか腹立たしいような、なんとも言えない気持ちになった。

「言っときますけど、悠理と魅録もそう思われてるんですからね」
「だから、あたいらは違うって言ってんだろうが。それこそどこを見たらそう見えるんだって言うんだ」
「そりゃ、悠理の態度そのものでしょ。ふたりだけでよく出かけるし、いつもじゃれあってますからね」
「冗談じゃないわい。とにかく、昨日も言ったけどあたいらは全然そんなんじゃないからな」
「僕達もですよ」
「よし。この話はもうここで終りにしよう。お互い誤解だったと言う事で」
「悠理が言い出したんでしょ。決着は昨日ついていたはずですよ、それなのにまた言い出すから。昨日の僕の話、全然信用してなかったんですか?」
「そんなんじゃないけど・・・」
むっとしたように言う清四郎に、悠理はしょげたようにお菓子を運ぶ手を止めた。
その様子に小さく笑う。
「やっぱり僕達にはもっと話し合いが必要みたいですね」
「話し合い?」
「昨日も言ったでしょ?僕達きっともっと互いの事を誤解してるんですよ。だから、一回話したぐらいじゃ素直に受け入れられなくなってるんじゃないですかね」
「そうなのか?」
手の動きを再開した悠理は、お菓子を頬張りながらちらっと見る。
「だから、もっと沢山話しましょう。どうです?とりあえず手始めに今度ふたりでどこかに遊びに行きませんか、例えば悠理の好きなトコとか」
「う〜ん、そうだな。じゃぁ、その次はお前の好きなトコな」
「えぇ」
にっこり笑う悠理に、そっと微笑み返した。
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