「春空」
「たっく、アイツなにやってんだよっ!」
春の穏やかな日、悠理は広大な公園の中心にある、わけのわからないモニュメントの前で携帯電話の画面を睨みつけていた。
右手に携帯、左にはまるで、旅行にでも行くかのような大きなバスケットを手にしている。
時刻は、午前11時を20分ほど過ぎた頃。
この場所に着いたとき何人かが同じように、それぞれの相手を待っていた。
それも、一人、また一人と減っていく。
今は悠理ともう一人女性が、同じように携帯を手にしているだけだ。
だがそれも束の間、彼女は悠理にチラッと視線をやるとその場を離れた。
向った先に相手を見つけたようだった。

待たせることはあっても待たされることのあまり無い悠理は、空腹も手伝ってかなりイライラしていた。
「なんだよ、今の女!なんかむかつく!!!大体あいつが遅れてくるから悪いんだ!!」
普段は何事にもきっちりしている男。
悠理が遅刻するといつも呆れ顔で待っている男。
それが、今日に限って未だに顔を見せない。
「なにかあったのかな……」
最初は怒っていた悠理もさすがに心配になってくる。
携帯になんの連絡もないというのがおかしい。
遅れるなら遅れるで連絡のメール一つでも送ってきそうなものだが。
「よし!」
悠理は絶対自分からは掛けるまいと思っていた携帯の番号を押し始めた。

「悠理!」
電話が繋がるよりも早く後ろから待っていた声がかかる。
悠理は後ろを振り返って、文句を言う為口を開いた。
だが、言葉が出てこなかった。眼を見開いて、目の前に立った男の姿を見つめる。
「せ、せいしろ…?」
「すいません。遅くなってしまって」
公園の入り口からここまで走ってきたのか、少し顔を上気させた清四郎が携帯片手に謝る。
その姿は・・・。
「清四郎、どうしたんだよ、その…」
「え?何がですか?」
漸く息を整えた清四郎は悠理があまり怒っていなさそうなことに安堵しつつ、逆に尋ねた。
「頭だよ。なんで髪降ろしてんの?」
清四郎はいつものきっちりと固められたオールバックではなく、洗いざらしのままだった。
「え、あぁ。頭に構う時間までなかったんですよ。気付いたら10時半を過ぎていたので、とりあえずシャワーだけ浴びて慌てて飛び出してきたんだ」
清四郎は頭に手をやると、少しはにかんだような顔をして答えた。
その言葉で悠理は自分が怒ろうとしていたことを思い出した。
「あー!そうだ!!お前なんでこんなに遅れたんだよ!!心配するだろ!連絡ぐらいしてこいよ、おかげであたい嫌な目に合ったんだぞ!!」

「なにかあったんですか?!」
清四郎は心配そうに勢い込んで訊いてきた。
そのあまりの迫力に悠理も思わず後ずさる。
「い、いや・・。そんなたいしたことじゃないんだけど」
「何があったんだ」
真剣な眼差しでもう1度訊かれる。
「……隣で同じように待ってた女がいたんだ。でもそいつ、自分とこの方が先に相手が来たもんだからあたいのこと勝ち誇ったような目で見て行きやがったんだ!」
悠理は自分でもくだらないと思ったのか、清四郎から顔を逸らして少し顔を赤らめながら言った。
「なんだ、そんなことですか」
清四郎はほっと息をついた。
「そんなことじゃないだろ。お前がちゃんと時間通りに来てればあんなヤツ気にもしなかったのに!」
むっとした顔をして詰め寄ってきた悠理に、清四郎は、まぁまぁと身体を仰け反らせた。
「ハイハイ、スイマセンでした。僕が悪かったです」
素直に謝る清四郎に悠理はしぶしぶ身体を離すと、相変わらず憮然とした顔で訊く。
「なんで、こんなに遅くなったんだよ」
「昨日、と言うか今日ですね。朝方までずっと本を読んでいたんですよ。早く寝なきゃと思いつつ気付いたら外が明るくなってきていて」
「お前なぁ〜」
じろりと清四郎を睨む。
「でも、そのまま起きていようと思ったんですよ。ついでですからね。そしたら……」
「なんだよ」
「いつのまにか眠り込んでいたみたいで、目が覚めたときにはもう出なきゃいけない時間をたっぷり過ぎていた、と」
清四郎は睨む悠理にハハハと笑って誤魔化すと、悠理が手にしていた大きなバスケットを自分で持った。
「と、とにかく早く行きましょう。僕なにも食べてないんで、もう腹ペコなんですよ。ほら」
清四郎は悠理を促すと昼食を取るのに適した場所を探す為歩きはじめた。
「あ、コラ待てよ!」

悠理は清四郎の隣に並ぶと、歩きながらその顔を見上げた。
「なんですか?」
それに気付いた清四郎が、不思議そうに訊く。
「いや、なんか懐かしいなと思ってさ。その髪型」
先ほどのお怒りは解けたのか、悠理はもう笑顔になっている。
「そうですね。中等部の頃まではいつも降ろしてましたもんね。僕も久しぶりですよ、こうやって降ろしたまま普通に過ごすのは」
気恥ずかしいのか少し照れたように言った。
「偶にはいいよな。こっちも」
「そうですか?」
「あぁ、なんか清四郎じゃないみたいでさ」
「それどう言う意味ですか」
「べっつに〜」
悠理は嬉しそうに笑うと、形だけの柵に囲まれた広い芝生の中へと走って行った。

「おーい!早く来いよ!」
清四郎は大きく手を振って自分を呼ぶ悠理の元へゆっくりと向った。
芝生の上には自分たちと同じような何組かの二人連れが、早くも弁当を広げている。
空腹の身にはその匂いは魅惑的だった。
(コレじゃ悠理みたいだな)
清四郎はそう思うと小さく笑った。
悠理の元に辿りつくと、早速バスケットを広げた。
そこには悠理の手作り弁当が……あるわけもなく、剣菱家の一流料理人たちが腕を振るったらしい豪華な食事が入っていた。
悠理はその中から小さなシートを取り出すと、さっさとすらりとした足を伸ばして座りこんだ。
嬉しそうに食事の詰まった箱を広げていく。
清四郎もそれを手伝いながら、隣に片膝を立てて座った。
「ほ〜、これはおいしそうですね〜」
清四郎が感嘆の声をあげる。
「だっろ〜?うちの料理長が朝から腕を振るってくれたんだ。ほら、お前の好きなモンばっかりだろ」
悠理は得意げに言うとその中の一つを自分の口に放りこんだ。
「うん、美味い美味い」
清四郎はそんな悠理を優しく見つめると自分も食事に手をつけた。


「あ〜!!満腹です、もう入りません!」
清四郎は後ろに手をついてふ〜っと息を吐いた。
隣では悠理がまだデザートを美味しそうに頬張っている。
「相変わらず、よく入りますね〜。そのお腹ホントにどーなってんですか?」
「お前が食べなさ過ぎんだよ」
悠理はチラッと見やると清四郎が食べなかったデザートに手を伸ばした。
二人にしてはかなりの量の食事の数々。
決して食べなさ過ぎと言う事はない。むしろ朝食べていなかった分、普段よりも食べたぐらいだ。
それでも同じか、それよりももっと食べていると思われる悠理はけろっとした顔をしている。
清四郎は改めて悠理の食欲のすごさを実感した。

悠理が食べ終るまでをボーっと過ごしていると、欠伸が出てきた。
「ふぁ」
ろくに寝てない上にこんなに穏やかな空の下、満腹になればそれは仕方のないことだった。
「眠いんなら、寝ていいぞ。今日もほとんど寝てないんだろ?」
漸く全てを食べきった悠理は両脚をそれぞれ外に曲げるように座りなおすと、自分の膝を叩いた。
「なんですか?」
清四郎は悠理が何故膝を叩いたのかわからずに不思議そうな顔をする。
「ここに頭乗っけろよ」
「え?」
悠理の顔は心なしか少し紅いように見える。
「ほら、みんなやってるだろ」
と周りのカップルを顎で指しながら、ぶっきらぼうに言った。
「あれ、やってやるよ」
清四郎は悠理の言わんとすることがわかって顔を紅くして照れた。
「い、いいですよ。それよりこれからどこか行きましょう」
眠気を覚ますのと気恥ずかしさを誤魔化すように大きく伸びをした。
「いいって!お前今日は眠いんだろ。寒い間、コートやってくれてたから、その……代わりだよ!」
悠理は顔を背けて怒ったように言う。
だが耳が真っ赤になっていることで、ただ照れているだけだという事は容易に想像がつく。
清四郎はクスリと笑うと悠理の正面に移動し小さな膝に遠慮がちに頭を乗せた。
「じゃ、遠慮なく」

「どうだ?」
仰向けになっている清四郎の顔を覗き込む。
「もっとちゃんと乗れよ。落ちるぞ」
悠理は清四郎の頭を引っ張って深く乗せようとした。
「痛いですよ。ちゃんと自分で上がります」
清四郎はずりずりと頭を動かす。
「なんかくすぐったいな」
悠理は照れながら少し笑った。
「どんなカンジだ?」
「なかなかいいモンですね」
「そっか、へへへへへ」
嬉しそうな悠理。
「おや、悠理顔が紅いですよ」
そんな悠理が可愛くて、清四郎は自分も照れていたくせにそれを棚に上げると、ついからかうようなことを言った。
触れてみるとその頬は、さらに紅くなった。
「そ、そんな事ないわい!それよりさっさと目ぇ瞑れよ!眠いんだろ!」
悠理は清四郎の眼を自分の手で塞ぐとそう叫んだ。
清四郎はその手を外すとニヤリと笑った。
「このまま起きているのもいいかもしれませんね〜」
「なんでだよ」
紅い顔のまま悠理は憮然とした顔で訊く。
「もったいないでしょ。こんな風に悠理の顔を見ることなんて、そうないですからね」
「ばっ!馬鹿なこと言ってないでさっさと寝ろ!!寝ないんなら頭、落とすぞ!!」
清四郎はフッと優しい瞳で笑うと、悠理の手を握ったままゆっくり眼を閉じた。

よほど眠かったのか清四郎は眼を閉じるとすぐに寝息をたてはじめた。
――――これからもっとお互いのことを話そう
長い間一緒にいて気付かなかった互いのこと。誤解していたこと。
秋から今まで、一つ、また一つとお互いの知らなかったことを発見しあった。
そして気付いた大切な想い。
ふたりとも言葉にしたわけじゃない。それでもなんとなく、こうしてふたりだけで出かけることが増えた。

清四郎への想いに気付いたとき、初め悠理はその想いを否定しようとした。
自分の中に「女」の自分がいる。
それを認めることができなかった。
こんなあたいはあたいじゃない。
だが一旦気付いてしまった想いはどんなに否定しても消えることはなかった。
日に日に大きくなる想い。それに気付く度に自分が変わっていってしまう気がした。
だが、清四郎とふたりでいると不思議とその不安にも似た感情が消えていることにも気付いた。
あたいがあたいらしくいられる場所。
それに気付いてからは変わっていく自分を感じても否定することはなくなった。
『どんなに変わった気がしても、清四郎を感じることができればいつだって安心できる』
その想いは変わることがなかったから。

「女」の自分には未だ、戸惑うことが多い。
自分の前だけで見せたいつもとは違う髪型が嬉しかったのも、こうして膝枕なんて柄にもないことをしてしまっていることも、膝に感じる温もりとその寝顔に気持ちが穏やかになっていくことも。
それでも清四郎への想いがそうさせているのならば、それも悪くないかと思う。
「あたいもヤキが回ったな」
悠理は気持ち良さそうな男の寝顔に穏やかに微笑むと、真っ青な空を見上げた。
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