「ヒナタ」
妻が居間に戻ってくると、修平は新聞から目を離した。
「どうだった、悠理君来るのか?」
「えぇ。後二十分ぐらいですって」
「いやぁだ、パパったら嬉しそうな顔しちゃって」
「本当に」
母娘で笑い合う様子に、修平は眉間に皺を寄せてはみたが、すぐに肩を竦めまた新聞に眼を戻した。
三人がいる居間には大きな座卓の上にガスコンロと、鍋と野菜、そしてこれでもかというほど蟹が並んでいた。
その周りに五人分の食器。
菊正宗家の四人分以外に、悠理がくるかどうかもわからないうちに、既に彼女の分も用意してあった。
「あいつ等は今何処にいるんだ?」
新聞を読む振りをして後二十分という妻の言葉を考える。
「さぁ。でも今日は悠理ちゃんの日らしいから、彼女の好きなところね」
和子はぐつぐつ煮立つ鍋の火を調節しながら言った。
「なんだ、その悠理君の日ってのは」
新聞から不思議そうに顔を上げた修平に妻が楽しそうに応えた。
「あの子達、ふたりで出かける日はどちらの希望を優先するか順番を決めてるんですって。先週は清四郎の日だったらしくて、悠理ちゃん美術館に連れて行かれたって怒ってましたもの」
その言葉に修平は片眉を上げた。
「なんだ清四郎の奴、悠理君をそんなトコに連れていったのか。もっと他にあるだろうに」
「でしょー、あいつ本当に高校生なの?」
和子がうんうん頷きながら、父親に同意している。
「しかしデートって言ったら、なぁ。清四郎の奴他に遊ぶトコを知らんのか」
今度こそ顔を顰めると、新聞を折りたたんだ。
するとまたしても妻と娘が可笑しそうに顔を見合わせる。
「それが聞いてよ、パパ」
「なんだ」
「ふたり共まだそういうお付き合いじゃないんですって」
「こないだそう言ったらふたりして真っ赤な顔して違う!って否定するのよ。照れてるのね、きっと。だからパパもそういう事言っちゃ駄目よ。清四郎はともかく悠理ちゃんは可哀想なぐらい真っ赤になっちゃうんだから」
その時の事を思い出しているのか、和子はウフフフと笑うと壁にかかる時計を見た。
「そろそろかしらね」
まるでその言葉を待っていたかのように、表から車のドアが勢いよく閉まる音が聞こえた。
「お、帰ってきたみたいだな」
妻がいそいそと玄関まで行くのを見ると、修平は悠理の喜ぶ顔と穏やかになった息子の顔を思い浮かべ、娘と共に満面の笑みをかわした。
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