「スリッパ」
「あっつい!!やっぱあたい脱ぐぞ!」
「ダメですよ」
悠理が、着ていただぶだぶの白いワイシャツを脱ごうとすると、座卓を挟んで向かいに座る清四郎が読んでいた小説から顔を上げて有無を言わせぬような声で制した。
「なんで、こんなモン着てなきゃいけないんだよ。せっかく少しでも涼しくなるようなカッコしてきたのに」
言葉通りそのワイシャツの下は派手な色使いのチューブトップにショーとパンツというスタイル。
「冷房の入ったトコでそんな格好してたら風邪引くからだと、何度も言ってるでしょう」
ふたりは菊正宗家の居間で夏休みの宿題をしていた。
正確に言えば、やっていたのは悠理だけで清四郎はそれをサボらないように監視していただけなのだが。
加えて、今は悠理だけだが遅れて他のメンバーも来ることになっている。
悠理が一番時間がかかりそうだというので先に来ていたのだ。
「風邪なんてひくわけないだろ。それに寒くなったらまたお前にコートしてもらえばいいんだし〜」
嬉しそうに言う悠理に清四郎も少し照れる。
「しませんよ。みんながいる前であれをするわけないでしょ。大体僕があれをするぐらいなら最初っからそのシャツを羽織ってろ」
ひと睨みする清四郎にしぶしぶといった様子で脱ぎかけていたシャツを羽織りなおした。


また小説に目を戻した清四郎を宿題をしながらもちらりと見る。
(ホントにこいつはあのときの清四郎と同じやつなのか?)
3週間ほど前の頬が熱くなる出来事を思い出す。
(せっかくふたりっきりなのに・・・)
いつもならもっと優しい眼差しを感じることができるのに、今はこっちを見ようともしない。晴れて思いが通じ合ったというのに今日の清四郎はいつもと違って機嫌が悪い。
大体、玄関先で迎えられた時から様子がおかしかった。
挨拶もそこそこに、いきなり腕を引っ張られ部屋に連れ込まれた。
悠理とてその展開に柄にもなく緊張したのだが、部屋のドアを閉めた清四郎の言葉はこうだった。
「そんな格好じゃ風邪をひきます」
クローゼットの中から一枚のシャツを取り出し、悠理に差し出した。
「今日は上にこれを羽織ってろ」
その言い方は心配しているというよりもどこか怒っているようなそんな声だった。
逆らえない雰囲気に素直に羽織る。
清四郎のシャツはかなり大きく、改めて体格の違いを感じた。
袖を折って長さを調節すると漸く清四郎の表情が和らいだ。
「ちょっと大きいですけどね。風邪をひくよりましでしょ」
「あたい、別に寒くないぞ」
袖を折ってもまだ少し余る腕をぶらぶらさせて不満そうに言ったのだが。
「ダメだ。ちゃんと着ててください。―――じゃ、下で宿題を始めますか」


(なんだってこいつはこんな格好をしてくるんだ・・・僕のこと男だと思っていないんじゃないか)
玄関先で悠理の姿を見た時、目眩がしそうになった。
細い肩にすらりとした脚。
そこまで肌を露出させて恋人の家に来るだなんて、余りに無防備すぎる。
しかも今日は家には誰もいないのを知っているはずだというのに、だ。
(まるで襲ってくれと言わんばかりじゃないか)
そう思ってからふと笑って思いなおした。
(悠理がそんな事考えるわけがないか)
だが、いくら悠理がなにも考えずに露出の高い服を着てきたことがわかっていても、眼のやり場に困ることには違いなかった。
去年までは平気だったその格好も今の自分には刺激が強すぎる。
しかもこの後魅録と美童も来るのだ。
―――二人に悠理のこの姿を見せたくない。
男の性と独占欲から、清四郎は会うなりすぐに自分のシャツを着せることに決めた。


「仕方ないですな」
あまりに悠理が暑い暑いとうるさいので、清四郎は全く小説に集中する事ができなかった。
「脱いでイイのか?」
嬉しそうに顔をあげる悠理に顔をしかめる。
「そんなに暑いんなら、いっそのこと全部脱ぎますか」
そう言って立ちあがった清四郎を見て、悠理は咄嗟にシャツの前を掻き合わせて身を引いた。
「な、なに言ってんだよ。このスケベ」
「暑いんでしょ?」
悠理の反応に俗に言う悪魔の微笑を見せる。
「だ、だって・・。みんなもうすぐ来るぞ」
「おや、と言うことは、みんなが来ない日だったら良いということですか?」
ふたりはまだそういう関係ではない。
先に進もうと思ってもあまりに無邪気な悠理に、清四郎は手を出せないでいた。
だが、別に焦っていたわけではない。
悠理はこれからもずっと傍にいる、そう思えるからゆっくり悠理のペースにあわせていくつもりだった。
だから、恥かしがる悠理を気遣いみんなへの報告もまだしていない。
「そんなこと言ってないだろ!!」
「わかってますよ。僕はただ、悠理があんまり暑いっていうからアイスでも取りに行こうと思っただけですよ」
可笑しそうに笑いながらキッチンへと向う清四郎の背中を、悠理は真っ赤な顔しながら何も言えずに見送った。
清四郎の姿が見えなくなり、思わず脱力する。
(はぁ〜・・・ビックリした・・・)
悠理とて、そうなるのが嫌だという訳ではない。
清四郎が自分を大事にしてくれているのも知っている。
時にはこうやってからかわれるコトもあるが、決して無理強いしようとはしない。
やっと想いが通じ合った。これからも清四郎はずっと傍にいてくれる。
今はもう少しその想いに浸っていたかった。
悠理は自分も立ちあがると、清四郎のいるキッチンへと向った。
なんとなく、傍にいたくなった。

「せーしろ」
「どうしたんですか?向こうで待ってればいいのに」
調理台に置かれたガラスの器には琥珀色とピンクのアイスが重なっている。
「さぁ、戻りますよ」
器を二つ手にした清四郎は悠理を促す。
悠理は脇を通り抜け様とした清四郎のポロシャツを掴んで引きとめた。
「ん?」
「・・・ごめん、な・・・」
「気にしてませんよ」
清四郎は悠理の言いたい事がわかって、眼を細めた。
「その代わり・・・」
その言葉で上を向いた悠理に、口付ける。
「―――これぐらいはいいでしょ?」
「ばぁか・・」
「ほら、さっさとしないとアイス溶けますよ」
清四郎は何事もなかったかのように、居間へと向った。
悠理もその後をパタパタとスリッパを鳴らして追いかける。

ふたりが居間に戻ったとき、玄関のチャイムが鳴った。
「アイツらですかね」
「もうそんな時間か?」
清四郎は一旦アイスを座卓に置き、玄関へと向った。
そこに、今度は電話が鳴り始めた。
「なんなんだ・・悠理、悪い。玄関出てくれますか」
「わかった」
悠理はスリッパを引っかけ玄関へと向う。
清四郎は清四郎で、電話へと向った。


「よぉ!」
ドアを開けると、魅録が口をポカーンと開けて自分を見て止まった。
「・・・・お前、なんだよ。その格好」
後ろから入ってきた二人も悠理の姿に唖然とする。
「あぁ、これか?清四郎のだよ。あたいの格好じゃ風邪ひくからって無理やり着せられてんだ」
袖をぶらぶらさせて、ドアから身を引く。
「なんかそんな格好してると、悠理も結構色っぽいね」
「はぁ?何言ってんだよ、美童。気持ち悪い事言うなよな!」
言われた悠理は眉間に皺を寄せ、心底嫌そうだったが、美童の言うこと尤もだった。
元々着ていた物が露出の高い上に男物のシャツを羽織っているその姿は、普段の悠理を知る者でもはっとする色気があった。
どうやら清四郎の作戦は見事に失敗だったらしい。
余計に悠理の「女」の部分を見せつける羽目になってしまった様だ。
だが、そんなことには全く気付いていない悠理。
意味ありげに口元と目元を緩ませる可憐に顔をしかめつつ、野梨子の不在の理由を聞いた。
「すぐに来るわよ。一旦表に出たんだけどね、あんたに持ってくるはずだったお茶菓子を忘れたって言って、取りに戻ったのよ」
「お菓子?!やったぁ〜!」
「それより、清四郎は?」
「今、電話中」
悠理はお菓子の事で頭がいっぱいで簡潔にそれだけ言った。
「とにかく上がらない?」
美童の尤もな意見に、玄関先で突っ立っていた事を思いだし、各自勝手にスリッパを出して靴を脱いだ。
ドアが閉まりかけたちょうどその時、野梨子が追いついた。
「待ってくださいな!」
「あっ、野梨子ぉ〜!待ってたんだよ、早く上がれよ!」
「悠理が待っていたのは私よりも、このお茶菓子じゃなくて?」
野梨子はくすくす笑うと、手にしていた箱を軽く掲げた。
「そんなこと無いぞ!いや、それもちょっとあるけど・・」
「お菓子に勝てるとは思ってませんわ」
その言葉に、みんな笑った。
悠理は憮然とすると、奥にいるはずの清四郎に声をかけた。
「せーしろー、みんな来たぞぉ」
「先に部屋に入ってもらっててください!」
「清四郎、何処にいますの?」
遠くから聞こえる声に野梨子が不思議そうな顔をする。
「電話。誰からだろな?随分、喋ってるぞ」
つられて不思議そうに首を捻る悠理を他所に、みんな上がりこんだ。
「あたいちょっと見てくる、先に居間に行ってて」
悠理はそう言い残すと、やっぱりスリッパをパタパタ言わせながら電話のもとに向った。

四人が居間で寛いでいると、戻ってきたのは清四郎だった。
「早かったですね、みんな」
「あれ?悠理は?」
「電話中です」
その言葉に皆して首を傾げる。
「電話、お袋からだったんですよ。悠理の声が聞こえた途端、代われって言われて。おかげで僕は追い払われてしまいましたよ」
「なぁに?おば様と悠理、随分仲が良いじゃなぁい」
「そうですかね。それより、お茶でいいですか?」
清四郎はすっとぼけると、話を逸らした。
「おぉ、なんでもいいぞ」
「それじゃま、とりあえずお茶を入れてきますよ。先に始めててください。野梨子、みんながサボらないようにちゃんと見ててくださいね」
「わかりましたわ」
可憐は居間を出ていく清四郎の足元と、自分達が玄関から履いてきたスリッパを見てやっぱりにやりと笑った。
(ふ〜ん、そういうこと)

先ほど見た悠理のスリッパは可愛い苺色だった。
そして、今清四郎が履いていたのは草色。
玄関脇においてあった家人のものと思われるものはそれぞれグレー、緋色、煉瓦色。
そして自分達が履いてきたのは揃ってベージュ。
考えるまでもなく自分達が履いたのは客用だろう。
菊正宗家は4人家族だ。
一組だけ客用の色を変えるとも思えない。さらに言えば、客用のベージュのスリッパはまだ後2組はあったのだ。なのに、先に来ていたはずの悠理が家人と同じような色違いのスリッパを使っている。
それが意味する事はただ一つのはずである。
(最近あのふたり、なぁんかおかしいと思ってたのよね〜)
可憐はどうやらその事に気付いたのが自分だけである事がわかって、皆にこの事をばらそうかどうしようか一人ニヤニヤしていた。
壁紙:clef